女装して、一年間暮らしてみました。 /クリスチャン・ザイデル
![]() 女装してみたかったからしてみた。女装で得られた男性性からの自由を、女装しなくても維持できると思えたからやめた。そんな話。性同一性障害者の記録ではない。 常に「自分は能力がある」「すぐれている」と表現し続ける必要がある男性のつらさ、見知らぬ人からも性的存在として見られ続ける女性のつらさ、そんなことが説得力をもって語られるから、女性が読んでも男性が読んでも、どこか思い当たることがあるんじゃないかな。 女子会で知り合った女友達と男装で出会ったら、女同士の親密性は失われ、「クリスチアーノ(女装していた時の名前)の方が好き」と言われてしまったあたり、女装しないと無くなってしまう女性性もある証でしょう。 しかし、実験したことを後悔していないなら、こんな半端な写真をジャケ絵にしないで、クリスチアーノとしてスカートとハイヒールで闊歩する写真を使えばよかったのに。 あと一つ、納得が行かないことがある。クリスチアーノがレイプされそうになったことを「セクハラ」にあったと表現するのは、事実の歪曲で、実験の公正を欠く。 ドイツでは見知らぬ相手からの性的な暴力を「セクハラ」と呼ぶのか? そんなはずないだろうと思う。 スポンサーサイト
|
|
* HOME *
|