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「赤毛のアン」に学ぶ幸福 (しあわせ) になる方法 / 茂木健一郎 [著]
2009 / 01 / 23 ( Fri ) 23:33:21
赤毛のアンから人生訓を読みとろうとするページはパス。幸い後ろの方の短い一章だけです。
しあわせになる方法より、著者の赤毛のアンを読む方法の方がずーっと面白いです。

「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
. -- 講談社, 2008. -- (講談社文庫 ; [も-50-1])

小学5年で赤毛のアンに出会い、シリーズ全作を何度も読み返す中学時代を送り(ここまでは私と同じです)、高一で原書にチャレンジ。当初はものすごく苦労したけれどアンブックス全巻を読みきる頃には英語が分かるようになっていた(もう私とは大違い)。
高校時代にはアンをテーマに懸賞論文に応募してこれを獲得、カナダでのホームステイを体験(もはや比べる気力もない)。
大学生のとき数年間バターカップスで活動し、大学院時代に始めてプリンスエドワード島に行ったけれど、アンのファンであることをカミングアウトしたのは最近(2・3年前)だといいます。

後の脳科学者は、どうしてアンにはまったのか。
それから30年もの間、アンを読み続け、登場人物を胸に住まわせ続けていたのはなぜか。
その辺が面白いです。
私自身が30年以上アンブックスを読み続け、同じ人物(特にマリラとスーザン)について、感じるところが大きく変化してきました。だから茂木さんが、年を経て何かに気づくところがとても興味深いのです。

そして、「ほう、男性はそう読むのですか」と思うところもあって、そんな部分について「自分はそうは思わない」のか「自分もそう感じていたけど気づかない振りをしていた」のか考えると、自分自身が見えてきます。

茂木さんは、アンシリーズは「赤毛のアン」大ヒットが呼び込んだ予想外のシリーズ化であって、本来書かれるべきではなかったといいます。私は「夢の家のアン」と「アンの娘リラ」が大好きなので、シリーズ化しない方がよかったとは言いかねるのですが、確かに就職後の物語が後に続くせいで、赤毛のアンの最後でアンがする選択(『自分の未来を広げるために都会の大学へ行く』ことを諦め、『小さな村で老いたマリラの世話をして暮す』)は子どもが受容した運命ではなく、大人としてアンが選び取った道なのだということを、人は忘れがち。
赤毛のアンは青春以前の少女の物語と思いがちです。

茂木さんの指摘どおり、アンは16歳になるやならずで、誰からも尊重される決断ができる大人でした。モンゴメリが祖母の世話のためにキャベンディッシュの小さな郵便局を離れず、36歳まで結婚せずに祖母のいる家を守り続けたように、アンもまた、アヴォンリーの田舎に留まってマリラをずっと保護していこうと決意していたのです。

「道を曲がったところはきっと素晴らしいところに違いない」というのは夢見がちな少女の空想ではなく、道を曲がったところで必ず花を見つけよう、あるいはそこに花を咲かせて素晴らしいところにしよう
という大人の意思表明なんだと、あらためて思いました。



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