タイニー・ビレッジ その33
![]() ![]() さすがに気恥しくなったらしい、ひよりは先に立って歩き出した。 澄江は岩山夫人にサクッと頭を下げて、すぐに後を追った。 「ひよりちゃんは人気者なのね」 「いいえ。男子達は私をヒデヨリって呼んで女扱いしないし、女子は私に親の自慢ばかりします。お母さんが口うるさいとかお父さんの足が臭いとか」 どこからつっこんでいいかわからない話だったが、とりあえず 「それ自慢になるの? 口やかましいとか足の匂いとか」 と聞いてみた。 ひよりは淡々と答えた。 「自慢ですよ。自分には親がいるって言いたいんです。 いくら悪口を言っても許してくれる親がいるって、自慢してるんです。 ![]() 子どもらしくない子だ、と澄江は思った。言っている内容が朋輩の観察であるというだけでなく、その口調が冷めている。イキがるとか、むきになるということがない。 それに、他の子どもが親の悪口を言うことに、なんだろう、かすかに、悔しさが滲んでいるようだ。 リトマス紙を試薬につけるように、そっと、澄江は口に出して見た。 「ひよりちゃんの親御さんは?」 「父はいません。7歳の時、母が脳腫瘍で入院したので、父のことはきちんと聞けずじまいでした。 母が入院してからは、親戚や児童養護施設に預けられて暮らしました。岩山夫婦の里子になってここに来たのが9歳の時です。 ビレッジの人はみんな、私が里子であることを知っています」 |
タイニー・ビレッジ その32
![]() ![]() まっすぐレジに向かって、ショートカットの少女が入ってきた。 「あら、ひよりちゃん」 「宿題が早く終わったので、荒川さんをお迎えに来ました。『いぬき』を見学してらっしゃると聞きまして」 「まあ、来てくれてありがとう。私が荒川です」 澄江の声には感嘆がこもっていた。何としっかりした12才だろう。初対面の大人に、敬語で話ができるなんて、親御さんの顔が見たいと思う。もちろん、いい意味でだ。 「はじめまして、羽柴日和です。よろしくお願いします」 「こちらこそよろしくね。私のこと、すぐにわかった?」 「はい。ヨーリー出版の手提げ袋をお持ちだと聞いてましたから」 この子は本当に大学生にも頼りにされそうだ、と思った時レジの女性が口を開いた。 ![]() 「ヨーリー出版の岩山さんの奥さまでしたか」 「はい。二人で早期退職して、タイニー・ビレッジにやってきました。 でも、タイニー・ビレッジのお話の続きはひよりちゃんに任せますね。最高の案内人ですから」 「岩山さん、ハードルをあげないでください」 そう言いつつ、ひよりは落ち着いている。澄江はひよりがしっかりしているのではなく、子供らしくないのではないかという気がしてきた。 「プレッシャーをかけようとしたわけじゃないのよ。私たちのひよりちゃんを、お客さんに自慢したかっただけ」 そういう岩山は、自分の孫を見るかのようなまなざしである。 |
タイニー・ビレッジ その31
![]() ![]() 「私がしこみをしておくフレンチトーストを、午後のマスターが焼いてお出ししますよ。食パンの耳で作るかりんとうもあるし、マスターが作るミルメーク入りのプリンもあります。このミルメーク入りが子どもに人気なんですよ」 激しく食材の使いまわし感のあるメニューだなーと澄江は思った。でも、パン屋さん、食堂、喫茶と担当者と店の性格を変えながら、一貫性があるのが不思議である。とも思った。 「午前中がイートインのパン屋さん、昼時は給食メニューの食堂、午後は喫茶って、うまくリレーというかシェアというかしてますよね」 「家族経営ですから」 ![]() 「はい。『いぬき』の家長は私。私が給食の二人を採用し、マスターの参加を許可しました。給食の二人は娘、マスターは歳の離れた弟のようなものです。 ただ、本当の家族と違うのは、私たちは自分たちがかりそめの家族だと知っていることです。タイニー・ビレッジにいる間だけの、家族。 勿論、運が良ければ誰かがここを離れても付き合いは続くでしょう。年の離れた友人として。 ただここにいる今だけ、同じタイニー・ビレッジの住人。ここの住人は掟で縛られた、運命共同体。大きな家族です」 「おきてって、掟ですか?」 「そう。ヨーリー町お仕着せの掟。それを守る気がある人だけがここに住める」 |
タイニー・ビレッジ その30
![]() ![]() 「固定ファン?」 「はい。朝早く出かける人が買って行くんです」 「何時にお店を開けるんですか?」 「6時です。インコンビニエンスストアが11時開店ですから、11時前の食品はうちが独占販売です」 レジの女性は涼しげに笑った。女性の年の頃は還暦前後、胸のネームプレートに『岩山』とある。 「6時! それではいったい何時間働くんですか」 「ご心配なく。私の労働時間は朝4時から正午までです。 11時には喫茶部の男性が来るんですが、この男性は18時までの勤務です」 ![]() 「そうですか。でも、11時から12時以外はワンオペでは大変ですね」 「9時から14時は給食のおばさんが2人います。 2人は午前中は調理に専念していますが、正午からはフロアにも出てくれます。 メニューは日替わり給食セットと単品のポタージュスープだけですが、給食が売り切れた後も、給食が嫌いなメニューだった時も、パンコーナーのパンを買って、スープとあわせて食事ができます。『給食を全部食べないと校庭に出てはいけない』なんて、ここでは言われないので安心してください」 |
タイニー・ビレッジ その29
![]() ![]() 「わかりました。今日はいろいろ説明してもらってありがとうございました」 「こちらこそ。拙い説明を聞いていただいてありがとうございました。 これから30分後くらいにひよりちゃんに受付に来てもらうよう手筈にしておきます。では、失礼します!」 栗林は勢いよく頭を下げて挨拶した。 走り去る栗林を見送りながら、澄江は30分は程よい待ち時間だと思った。UTAYAで会員登録して、またここに来る時の入場券を確保しよう。 ![]() 『いぬき』は机や椅子が学校用なので、高校の文化祭の喫茶店のような雰囲気である。 喫茶店というより、パン屋さんに広いイートインコーナーがあるような感じ。パンも喫茶も会計は共通らしい。 パン屋の品ぞろえで目立つのは、給食用ミルメーク、ジャム、はちみつ、チーズかまぼこなどの小物を、単体で売っていることだ。 パンの種類は多くなく、2枚ずつ包装されている食パン、小型ロールを使った調理パン、揚げパン(砂糖・黄粉・ココア)。このほかに日替わりコッペパンがあるらしいが、今日はもう売り切れている。 レジの女性に聞いて見た。 「今日の日替わりコッペパンは何だったんですか?」 |
タイニー・ビレッジ その28
![]() ![]() 「コンビって言わないでください。22歳と12歳じゃ犯罪ですよ。ひよりちゃんは苦労人で、多分におばちゃんが入った女の子です」 「そして栗林君は尻に敷かれていると」 「いや、敷かれているのは大学生全般ですね。シフトの交代の時、わからないことはひよりちゃんに聞けという引き継ぎがよくあります」 「へええ。あらまあ、ここは、ベーカリー喫茶『いぬき』。・・・・『いきぬき』の脱字かしら」 「息抜きでも手抜きでもありません。居抜き。 営業用設備や内装が付帯した状態での賃貸なんです。厨房は元給食室、喫茶は教室でした。教室と給食室を行き来せきるよう壁の一部を抜きましたけどね、それ以外は昔のままです」 ![]() と澄江が受けると、 「その通りです。いざという日に炊き出しが出来るよう、厨房を維持管理するという条件で、賃貸料は厨房と教室で1室分だそうです」 「おやおや、ここでも・・・・」 「ここでもです」 栗林はにっこり笑った。まるでヨーリー町の職員のように。 「それでは私、この辺で失礼しますが、何か残った質問はありませんか」 「ありがとう。ええと、これだけの施設に町職員が一人だけって、どうして?」 「ここで働く人の多くは、タイニー・ビレッジの住人だから可能なんです。 |
タイニー・ビレッジ その27
![]() ![]() タイニーハウスはヨーリーランドのモデルハウスをカスタマイズしたものが多いので、比べてみると面白いですよ。 信頼できる案内人に心当たりがありますが、ご紹介しましょうか?」 澄江としては、都合のいい話過ぎて心配なくらいだった。 「観光用じゃなくて、実際に人が生活しているんでしょう? 案内人なんて頼めるの」 「はい。緑の旗が立っているのが見学歓迎の家、黄色は今は無理だけど1・2時間したら見学可能の家です。 現地で直接声をかけても大抵大丈夫ですが、ヨーリーランド受付で申し込めば確実に住民ボランティアを頼めます。 ![]() 「彼女? 宿題?」 「はい。彼女は小学6年生で、名前はひよりちゃん。たしか・・・羽柴日和ちゃんです。 ひよりちゃんの勉強は1時間以上続きませんから、荒川さんが1階の喫茶店兼パン屋を見学しているうちにやってきますよ。僕が受付に指名を入れておきます」 小学6年生とは驚きだが、栗林君推薦なら間違いないだろう。 「それは楽しみだけど、栗林君はどうするの?」 「僕は3限の授業にアシスタントで入らなければならないので、ぼとぼち失礼します。喫茶店兼パン屋までご案内しますよ。行きましょう」 「ありがとう。でも、ひよりちゃんと栗林君のコンビが見たかった」 |
タイニー・ビレッジ その26
![]() ![]() ほっぺたが赤くなって町子さんが小町さんになっているぞ、栗林少年。本当のところ、町子さんに話しかけられれば提案の内容はなんだっていいのじゃないだろうか。 目を輝かす栗林を見て、眩しいような暑苦しいような、最終的には「勝手にせい」という気持ちになる澄江だった。 貸広間計画は栗林さんと町子さんに任せておけばいい。澄江はどんどん先に行くことにした。 「次は予備室と応接室。ここは2室で1教室分の広さね。開けてみようっと」 「応接室はソファセットがあって衝立があって、その奥はカーテン付きのベッド。保健室の名残です」 追いついてきた栗林が説明した。 ![]() 「荒川さん、いろいろ飲みこんで来ましたね。その通りです。元教室の奥行きがあるので、保健室ベッドは2台残せました。合宿に着たチームのコーチが泊ることができます。 指導者に男女がいた時、部屋が二つ必要になるので、その時は応接室と予備室に分かれて泊ってもらいます。 宿泊者が少ない時も、男女でより少ない方に、合宿室じゃなくて予備室に泊ってもらうことがあります。大部屋に1人2人では、空調が空しいですから」 「もしかして、避難所になったとき、病人や障害者のために応接室や予備室を使うつもりなのかな」 「その通りです。もう荒川さんに解説することはありませんね」 「コンペ作品が徹底的に、住んでいる人の普段の暮らしのための造りで、この建物は徹頭徹尾集団生活優先の造りよね」 |
タイニー・ビレッジ その25
![]() ![]() 澄江は先に立ってドアをあけた。 「誰もいないと思うけど一応『失礼しまーす』。あ、やっぱり誰もいない。 ああ、畳じきなんだ。靴脱ぎに1畳分フローリングが残っているけど、こんなにたくさん畳を見るのは最近じゃ珍しいくらい・・・・」 「ここは町民の避難指定施設なんです。避難所としては畳が一番。いざという時、畳なら20畳に20人以上だって寝ることができますからね」 「いざというとき・・・・ね」 澄江は多くを語らなかった。畳敷きの優秀さは証明されない方がいい。 ![]() 合宿室が2室あるのは男女別に使うためですが、いびきが激しい人はきっと休憩室に寝かされると思いますね、僕は」 と栗林は言った。澄江も笑った。 「やっぱり休憩室も見てみよう。 造りは合宿室と一緒だけど、ここは折りたたみのテーブルがあるのね。あれ? メニューが貼ってあるじゃない。 ここは素泊まりだけじゃなかったっけ?」 「仕出しですよ。ここも、会議室も、仕出し屋を頼むことができます」 「ということはここ、貸し広間としても使えるの? 七五三とか古希とか。隠したいものはみんな紅白幕で覆ってしまえばいいし、長机にはリネンをかけて、レンタル盆栽とかうまく配置すれば、面白い空間になるよね」 |
タイニー・ビレッジ その24
![]() ![]() 「あら本当だ、フィギュアというか紙粘土の人形が入口に立ってる。もしかしてこの顔、設計者の似顔?」 「多分そうです。こちらの住宅の縁側に腰かけているのは福山雅治です。設計者は女性ですね。 バリアフリーの家、準優勝作品はこれです。就寝時以外、室内ではティルト・リクライニング車椅子で過ごす前提で家具が作られている、完全洋室です。ティルト車椅子というのは、楽に座り続けるためにおしり、太ももにかかる体重を背中や腰へ分散させることができるタイプだそうです。玄関先に移動用の軽量車椅子を押す町子さんがいます」 「ほほぉ。そうね、町子さんは美人だけど、でも、これはまだ我が家には早いみたい」 ![]() 「そうね。あら、この廊下はどうして行き止まりなのかしら。確か外階段が2階につながっていたよ、ね?」 「行き止まりの向こうは元音楽室。レンタルの‘歌屋’が入っています。歌屋は外階段からだけの出入りなので興味があったらあとで覗いて見てください。CD/DVD/コミックの他に、ポータブルオーディオの貸出もしています。それに歌屋の会員になると、会員券はヨーリーランド入場パスポートとして使用できます」 パスポートはテーマパーク内での営業にテーマパーク外からのお客を取り込むのにはうまい方法だと澄江は思った。通常の店舗より狭いスペースでどんな品ぞろえをしているか、後で見に行こうと決めた。 「こちら側、歌屋のとなりが会議室。次が合宿室A、合宿室B、休憩室、応接室、予備室、受付とバックヤードです。 |
タイニー・ビレッジ その23
![]() ![]() 合宿室の中にロッカーがあるので、希望者にはロッカー用の南京錠を貸し出します。 洗面用品は持参するのが基本ですが、1階のコインシャワーコーナーにとバスタオル、タオル、歯ブラシセットの自販機があります」 淀みない栗林の説明は、いかに町子さんの説明を聞きなれているかを物語っていた。内容より栗林の青春ぶりに頷きながら、話を聞く澄江だった。 「リネンボックスに新しいシーツが入っていない棚がないので、今は宿泊者がいないようです。今なら合宿室の中が見られますよ。大して見る物もありませんが」 「じゃ、後でね。それより住宅模型は?」 ![]() そしてケースの上の壁には、立面概念図、つまり家の出来上がり予想イラストが入った額がかかっています」 「うわあ、これを作るのは時間がかかるんじゃないの?」 「ヨーリー町のコンペは1次審査が設計図と立面概念図で行われ、二次審査に残るのは大概2校。二次審査では応募者が自分で作った模型を使ってプレゼンをします。 展示のためにわざわざ模型を作るわけじゃないし、模型作りは建築事務所ではいたって普通に必要な作業なので、学生にとっては実習のようなものです。作った模型が壊されずにここで展示してもらえるのは、名誉だし記念になるし、自分もここに作品を並べたいとあこがれますね。 |
タイニー・ビレッジ その22
![]() ![]() もし栗林にわからないことがありましたら、私が職員に電話をして問い合わせますので」 「熊さん、町子さんに留守番を頼まれたんですか」 「おうよ、栗坊主。しっかりご案内しろよ」 「もちろん、最善をつくしますよ」 栗林の答えを聞くと、熊男は不敵に笑って元の部屋に戻って行った。 「すみません、荒川さん、それでは・・・」 と栗林が話しだそうとしたとき、澄江は堪え切れずに笑いだした。 「熊さん、真面目くさって熊さんって、ああ可笑しい」 ![]() 「町子さんが、今会議中の職員さん?」 「はい」 栗林がうなづいた。どうやら大学生があこがれの先輩と話をするためのダシにされかけたらしいと、気付かないわけではなかったが、急に目をそらしている栗林がかわいいので、追及はやめた。 「じゃあ、見学再開ね。カウンター後ろの棚、キーボックスにしては大きくない? それに入っている白い物はなに?」 「リネンボックスです。シーツ2枚と枕カバーが入っています。 |
タイニー・ビレッジ その21
![]() ![]() と口に出した。 「お買い上げありがとうございます。1冊につき1枚、ヨーリーランド内で使える500円の金券が入っていますので、どうぞご利用ください。なお、2冊から10冊のお買い上げのときは2割引き、11冊以上だと3割引きにしますので、これからも御贔屓に」 と岩山は穏やかに笑んだ。 「本屋になったらすぐ来ます」 と、澄江は破顔一笑で出版社を辞したが、実は本屋になるより前に、レジカウンターに貼ってあった『自費出版100冊から承ります』の貼り紙の方にお世話になるかも知れないなと思っていた。母が作った手芸作品の写真がたまっているし、父の俳句だか歌だかもたまっている。老後というか老中の楽しみに、二人の作品を1冊にまとめてみるのもいいかもしれない。 ![]() 階段を上がりながら、栗林が言った。 「2階の事務室に、ヨーリーランドで唯一の町職員がいますが、建物を案内してもらいましょうか? 大和工業大学の卒業生が就職しているんです」 澄江は案内は特にいらないかと思ったが、ヨーリーランドに1人だけの町職員というのが気になった。 「お願いしましょう」 と話はまとまり、2階のカウンターが無人だったので、栗原が呼出ボタンを押した。 カウンター奥の部屋から「はい」という声とともに、熊のような大男が出てきた。熊男と栗林の間で視線が交錯し、栗林口を開く前に、熊男が話し出した。 「お客さんすみません。職員は今町役場の会議に出ています。 |
タイニー・ビレッジ その20
![]() ![]() 勿論、一般入場者にとっても、同じテーマで作られた住宅の模型をたくさん見るチャンスなので、建築を学ぶ学生や、リピーターの方はこの時期に来場することが多いですね」 「ああ、惜しい。私もその時期に来ればよかった」 「設計図は応募全作品がこの記録集に乗っていますし、歴代の優勝と準優勝作品の模型はこの建物の2階廊下に並んでいますよ」 と岩山が慰めた。 「あの、でも、これ1冊おいくらですか」 本がA4版より大きく、写真も多かったので、一体いくらになるのかと恐る恐る澄江は聞いてみた。 ![]() これを買う人は大概、ここのモデルハウスと同じ家を建てるか、建てそうになっている人ですね。 他には家を建てるための建築士を探している人、大学図書館が主なユーザーです。 町立図書館に納品してますから、個人のお客さんは図書館で借りてみてから、手元に置く必要があると思ったら買う、ということもできますよ」 岩山は心の中で『ここで本を買うお客さんは買うし、図書館で借りてみてからってお客さんはまず買わないけどね』と付け加えた。 澄江は『画集や写真集を買ったことのない人は驚くだろうけど、これなら想定内だわ。何十万だか何百万だかの出費を正しく選んでするための支出なら、価値ありだわね』と頭の中で呟いて |
タイニー・ビレッジ その19
![]() ![]() バリアフリー住宅を見たいお客さんをお連れしたんですが」 「ああ、いらっしゃい。図書室に本を納めに行こうと思ったんだけど、それは後でもかまわないので、どうぞお入りください」 岩山と呼ばれた男は軽やかに踵を返して、今出たばかりのドアに入って行った。栗林と澄江も後に従って出版社に足を踏み入れた。 「お仕事中すみません。本屋さんはよくあるけど、出版社に入るのは初めてです」 澄江が声をかけると 「フフフ、小さいので驚いたでしょう。 これでも出版社です。 その棚の本は直売しますのでご覧ください」 岩山という男は、名に反して柔和に話し出した。 ![]() 岩山が直販棚から引き出したのは、コンペの記録集だった。 「優勝作品の建設過程を記録するため、発行は1年遅れになるんですわ。幸い、バリアフリーコンペをやった第9回はもう記録集にまとまっています」 「ありがとうございます。見せていただきます」 ページを繰りながら、澄江がつぶやくように話しだした。 「入賞は6位までなんですね。順位の他に、賞がついていますね、ええと、‘インテリア賞’、‘ファサード賞’、‘ヨーリーランド奨励賞’。これ、ヨーリーランド奨励賞って何かしら?」 「審査期間にこの施設にいらした方の投票1位に与えられる賞です。会議室に模型を展示して投票をうけつけています。 |
タイニー・ビレッジ その18
![]() ![]() 歩きながら説明しますね。 まず、1階の部屋は全部、庭から入れるようにしてあります。廊下ものつきあたりの壁にドアをつけて、直接入れるようになっています。階段は2か所あったのを、片方エレベーターに改修しています。 1階の教室を使ったお店は、コインシャワー、貸衣装屋、出版社、喫茶店兼パン屋さん、家作り遊戯室、農産物無人直売所。 小さい店は教室を仕切って使っていますから、もっとあったかもしれません。 農産物無人直売所は廊下で適当に営業してます。型破りな野菜と、茱(グミ)とか棗(ナツメ)とか木通 (あけび)とか、普通の店では売られないものが出ています。 ![]() 学校の玄関は、げた箱を撤去したらなかなかの広さで、「ナンデモ屋」というインコンビニエンスストアになりました。 コンビニとキオスクの中間くらいの規模の店です。営業時間は午前11時から午後7時までで、毎週月曜と毎月1日が休み。それ以外に年末年始休みがあったはずです。 「私は出版社を見たいわ。なぜここに出版社が入ってるのかしら?」 と澄江が言ったとき、ヨーリー出版の看板のあるドアから、60歳くらいの男が出てきた。 |
タイニー・ビレッジ その17
![]() ![]() 「体育館かしら?」 「元、体育館です。外側は何だこりゃな感じですが、床材は桜、その下のクッションは全英選手権で使用するものと同じ。音響、防音の良さはピカイチの、社交ダンス専用競技場です」 「なぜまた、ダンス? こんな小さな町で、体育館一つ分の、社交ダンス専用施設を作って、稼働率はどうなるの?」 澄江は、目の前でふるさと納税がどぶに捨てられているのを見たような、悲痛な声を上げた。 「それが、中学校2階の男女別合宿部屋、素泊まり2000円とセットでよく回転してるんです。夏休みにここが空いている日は僕が知る限りありませんでした。 ![]() 先輩の話を聞くと、ダンスの団体だけでなく、吹奏楽団や和太鼓チームなど、音楽関係の練習や合宿もよくあるようです。 生演奏での舞踏会ができるよう、思い切って防音性を高めるリノベーションをしたのがよかったようです。低床型ステージなので、楽器搬入も楽々行けます。」 「低床型ステージって、高さどれくらい?」 「50cmです。スロープは常設」 「よくステージ下にしまってあるパイプ椅子はどうしたの?」 「リサイクル業者に出したんじゃないでしょうか。今は、元体育用具室に軽量のスタッキングチェアが100脚か200脚入ってます」 100か200とはずいぶん誤差が大きいが、栗林は建築科の学生であって、町の行政職じゃないから、まあしかたがない。 |
タイニー・ビレッジ その16
![]() ![]() 「あ、本当だ、表札がある。それに小さい黒板みたいのがかかっってる。何か書いてあるわ。なになに? 『裏ノ庭ニ居リマス』って、宮沢賢二みたいな山羊!」 「タイニー・ビレッジに住んでいるお年寄りが書いてるんです。ベアトリスとカサンドラは子どもと年寄りに人気があって、本当に町議会が紛糾して、僕たちも気をもみました」 「そう。でも、来年もコンペがあることに決まったんでしょう?」 「はい。ありがたいことにコンペは続きます。でもベアトリスたちの縄張りも守られました。 モデルハウスの敷地は増やさず、20年前の優勝作を希望する個人に5万円で払い下げることになりました。 ![]() 「まあ、そうなの? 20年の中古品で5万円って、お買い得かな?」 「それは現物を見て判断していただくしかないですね。そして現物を見に来る人を増やすのがヨーリー町の策略です。まったくもって老獪です。 でも、ふるさと創生事業の1億円を10年近くあたためてからこの事業に投資した慎重さと、学生の力にかけたヨーリー町の度胸は大したものだと、うちの教授は言ってます」 「町を離れて4半世紀近いから、ピンとこないけど、確かにそうかもしれないわ。 あら、あの建物は何?丸屋根にメロンパンみたいな模様が入っている」 |
タイニー・ビレッジ その15
![]() ![]() 「エレメンタリーホテル? タイニー・ビレッジ?」 「隣の元小学校の校庭にスモールハウスばかりが集まったタイニー・ビレッジという小さな村ができているんです。 で、元小学校の校舎の2階にはホテルが入っていて、その名前がエレメンタリーホテル。よかったらあとで見学できます。 でも、今はまだこちら、ヨーリーランド見学が始まったばかりでしたね。 バリアフリー住宅の次は何をご覧になりますか? 他のコンペ住宅を見るのも勿論結構ですが、バリアフリー住宅をもっと見たければ、模型や設計図が元中学校の校舎にありますよ」 ![]() 「了解しました。ではこちらへ・・・・」 先に立って歩きながら、栗林がヨーリーランド全体を説明した。 「校庭の四分の一がモデルハウス、四分の一が山羊小屋と草はら、四分の二が駐車場です。モデルハウス区画がもういっぱいなので、駐車場を減らすか、山羊のための草はらを減らすか、はたまたコンペを止めてモデルルームを増やすのをやめるか、昨年のヨーリー議会は大紛糾だったそうです」 「なんですって? 山羊? 山羊と言ったの?」 「ああ、そりゃあ驚きますよね。来る時、山羊の姿が見えませんでしたものね。ベアトリスとカサンドラは今日、小学校の裏庭に出張して除草作業中なんです」 「ベアトリス! それにカサンドラ!」 |
タイニー・ビレッジ その14
![]() ![]() 畳んでおきたい人は、モスボックスの浅型かなんかを網の上に載せて使えばいいかもね」 「それはもう、いかようにも。ストレスフリー仕様だと思います、これは」 まあったく、男子学生はおもしろいことを考えるものだと澄江は思う。そして、自分の父ならどうするだろうと考えた。 昔、母が虫垂炎で入院した時、洗濯ものは物干しハンガーのピンチにぶら下げたまま、乾いたものから使っていた記憶がある。父がもしこの家で暮らしたら、普段はハンガーに衣類を干しっ放しで、気のおけるお客が来るときだけ、ハンガーごと物干し網に載せて収納するだろうと思う。そして「合理的だ」と言って澄ましているだろう。 ![]() 「うーん。それにしても狭い家ね」 「僕は掃除が楽でいいと思いますよ。これなら自分で管理できるだろうと思える広さ。ほうきとちりとりがあれば、掃除機はいりませんから。でも、オーナーの気持ち一つですね。 同じ作りで、畳を6畳、土間を8畳にして夫婦で住んでる人もいるそうですし、家族が暮らす家の庭にこれを建てて、完全独立の前の練習に暮らしている人もいます。 だから、広げるのはオーナー次第ですね」 「お客を泊めるのは難しいわね」 「校舎をリノベーションした施設に宿泊室がありますから、お客さんにはそちらに泊っていただけますよ。ご家族と一緒にキッチン付きの部屋に泊って、手料理でくつろぐこともできます」 「客用の食器とか布団とかをしまっておく必要もないわけね・・・」 |
タイニー・ビレッジ その13
![]() ![]() この家では生活空間の高さが180cmくらいあれば充分足りるので、それより上の空間はみんな収納に使えます。見た目の広さも必要ですから、全部の壁に戸棚をつけてはいませんが、付いているのはみんな昇降式吊り戸棚です」 「クローゼットはないのかしら。洋服がハンガーにかかったままむき出しで置いてある部屋って、それだけで散らかっている気がするのよ、私」 お、なんだか不動産とお客みたいになって来たな。と栗林は思ったが、ヨーリー町の発注の予算は、上物のみで240万円、5周年コンペでも500万円だから、見学した人が「私も欲しいかも?」という気持ちになるのはままあることなのだった。 ![]() 実はこの棚には底がありません。中身を降ろしますね」 栗林が壁のレバーを回すと、スルスルと戸棚の中身が降りてきた。 「こ、これは。どこかで見たような、見ないような?」 「そうです。干物干し網の特大サイズ3段。 ただし底面にはステンレス棒4本が渡してありますから、特大ですが真ん中がたわんだりしません。 一番下の段はステンレス棒だけでネットなしなので、シーツやバスタオルを干せますし、ハンガーを架けることもできます」 「超ワイドサイズの干し網ね。もしかして、このワイドサイズ、畳まないで収納するため?」 「よく広げたまま重ねておけば、シワになりませんからんね。 |
タイニー・ビレッジ その12
![]() ![]() 「私はトイレは個室じゃないと落ち着かないけど、かまわない人もいるかもね、確かに。広さを優先した方がいい場合も、きっとあるんでしょう」 と澄江は言った。 「はい。何を優先するかは人それぞれです。設計者は生活者の障害物が少ないことを最優先しました。 クライアントの障害の状態が変わったら、またハウスアダプテーションすればいいと僕は思っています」 栗林が調子に乗り、、澄江は置き去りになりかけた。 「ハウス、アダ・・・アダ?」 「すみません説明不足で。 ![]() 例えば今は、下肢だけに障害がある人向けの住まいですが、ヘルパーや家族に家事をしてもらうのが前提の人だったら、介護を受けやすい家に変える必要があります。」 「介護しやすい家じゃなくて、介護を受けやすい家ね」 と澄江が受けると、 「そうです。その通りです」 と栗林は我が意を得たりと目を輝かせた。 「この家は小さいけれど、全ての空間がただ一人のために使われます。なかなかに贅沢な広さじゃないかと思います」 若い人はいい。話していると自分が洗われるような気がすると、澄江は思った。 |
タイニー・ビレッジ その11
![]() ![]() 「他の家は泊れないの?」 「泊れます。少年少女の家出先にならないよう、保護者なしの未成年者は受付ていませんが。 未成年でも、建築士養成課程の大学生は、学生証があれば泊れます。学生は一泊に付き1時間清掃ボランティアをすることで無料になります」 「ふーん。収益は上がっているのかしら」 「すみません。学生が多いと赤字ですね。大学によっては建築学科の大学生が多いせいで、赤字だと思います」 栗林が身を縮めるようにしているのが気の毒で、澄江はすぐ収益の話を切り上げた。 「ところでこの家、トイレは・・・?」 ![]() 「シャワーブースの回りと同様にシャワーカーテンを引くことはできます。原則この家の中にドアはありません。 心配なら掃き出し窓の遮光防炎カーテンさえ引いておけば、外からは絶対に見えないので安心です」 「安心ってあなた、見えなければいいってものでもないでしょう。開放的過ぎませんか」 50代の見学者に対して、若干22歳の若者は落ち着き払っていた。 「考えてみてください。この家に住んでいる人が一人だったら、その方がトイレに行っている間は、この家にはトイレだけあればいいんです。見る人も聞く人もいないんですから」 |
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