♯26:竜巻の中身 |
2006/12/31(Sun)
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「指揮者」と「衣装」をキイワードにネット検索していたら、指揮者新田ゆりさんの公式HPに行き着きました。
そこで『「のだめ」終わる』というエッセイをとても興味深く読みました。素晴らしいエッセイでした!
このエッセイの中で新田さんは、「楽器を回すのも持ち上げて弾くヴァイオリンも実際はあの楽譜の部分では無理だとは思いますが・・・・その辺は効果ということで。」と言っていました。
ここですよ。私の頭の中の竜巻。心配の竜巻
Sオケ並みのパフォーマンスをR☆Sオーケストラがやったとき、『これで正当な評価はない』になってしまうんじゃないか。
プロオケとして真価を問われるときに、こんなことしていいのか令
この演出は新進オケR☆Sにとって逆効果なんじゃ・・・?
しかし、プロの指揮者が「あの楽譜の部分では無理」ということは他の部分では可能ということ。
パフォーマンス自体を無理と言ったわけじゃない。
聞かせて見せるR☆Sオーケストラはイケる・・・・かもしれない。
「かもしれない」にすぎないけれど、それでいいです。
あの演出がR☆Sオーケストラの未来を断つものでないなら、心配の竜巻は終息します。ああ、よかった・・・・・。
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♯25:燕尾服(スワローテールコート)研究 |
2006/12/30(Sat)
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燕尾服の「指揮者仕様」がどんなものかと調べていたら、ダンスブティックRISさんのサイトに言及がありました。
ダンスの燕尾服はホールドした時(手を水平くらいに上げた形)のラインが美しいようにデザインされています。 コンダクター用はそれより少しアームホールを広めに取り、手を上げた時・下げた時の形が美しいように計算されています。では、玉木千秋が着ていたのは指揮者用燕尾服だったのでしょうか? あの襟の刺繍は「花婿用燕尾服じゃないか」と私は疑っております。 (玉木千秋に似合う燕尾服を探せば当然そうなるでしょう。君は番組の花だもの) 遠藤雄弥くんの大河内も燕尾服着用でR☆Sオーケストラの公演に駆けつけていましたが、これはいつでも玉木千秋にとって替わりましょうという意思表示。 遠藤大河内が燕尾服にグッチ?のベルトをしめているところがいかにも。 燕尾には(タキシードもそうですが)サスペンダーを用い、ベルトは使用しないというルールがあるのをあえて外して来たあたり、芸が細かいです。 なお 尾(テール)が一本の燕尾(スワローテール)が存在するのかという疑問については目下捜査中です。 |
佐渡裕「感じて動く」 |
2006/12/30(Sat)
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大阪城ホールで1万人の第九を指揮するマエストロ。
1万人の心になにか届けようとするけれど、一番はなれたところで歌っている人との距離は250m。
どうタクトを振るか。何を言うか、いつ言うか。
どんな声が上がるか、どう答えるか。
すべてが取り返しのつかない局面に接している。
感じて動く
![]() |
♯24:ドラマのだめ最終回リプレイ |
2006/12/29(Fri)
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二ノ宮知子さんのブログに『最後のミルヒーの台詞は本当に素晴らしいものでした。脚本で見たときから感動。』とあり、その台詞は何だった確かめようと、再生ボタンを押しました。
もちろん背面ハグシーンも見なきゃいけないし千秋の襟刺繍入り燕尾服姿鑑賞、ついでに楽員タキシード&大河内燕尾検証を兼ねて最初から。
ミルヒーの台詞は「音楽を続けられることがけして当たり前のことではないことを、彼らは私に思い出させてくれました」と語るものでした。Shall we ダンス?で岸川舞(草刈民代)が杉山正平(役所広司) に手紙で語りかける言葉を彷彿させるなあとだけ思って過ごしたシーンです。
再見してみて分かったのは、Shall we ダンス? 舞が杉山に「ダンスへの純粋な情熱を思い出させてくれた」というのに対し、ミルヒーは音楽への情熱を掻きたてられたのみならず、一期一会の、過ぎて帰らぬこの一瞬への愛を語っているということ。
そして物語全体が、音楽する一瞬への愛を奏でているということ。
佐久桜(コントラバス)は「必ずまたこのメンバーでオケやりましょうね」と言ったけれど、それは土台無理な話。世界で認められれば彼らは世界に散っていくし、認められなければ生活の場へ散っていくしかないのです。
R☆Sオーケストラが「変幻自在」を謳ったのも、そうでなければ永遠に続くオーケストラになり得ないのを彼らが知っていたから。
出来ないからこそ桜はかりそめの約束をしたくなったのでしょう。全く同じメンバーがそろうことは二度とないから、よく分かっているから、強く強く思うのです。
「今できる最高の音楽を」
と。
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谷原誠「「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか」 |
2006/12/29(Fri)
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数ある話し方の本の中で、やっとやっと実のある本にめぐり合いました。
この本が「優れもの」なのは論破すべきところとそうでないところをよくよくわきまえた上で説いているところです。
「わたしと仕事、どっちが大事?」
と問われたらまず
「考えるまでもない。君の方が大切だ」
と答え、それから事情を説明せよというわけです。
それが、怒っている女をなだめる便法としてではなく、彼女が本当に言いたいことは何なのかという「聞き取る姿勢」を教示しているのが素晴らしい。
求められているもの。
伝えたうえでなすべきこと。
それが分からないと理解なんて夢のまた夢。
もちろん、相手を論破する方法も伝授しています。裁判では論破しなければ負けですからね。
しかし世の中、論破することに集中して理解を蔑ろにする人が多すぎます。
相手が理解すればそれでいいところで主張を繰り広げ、君が間違っているという結論に至らなければ気がすまない人って、結局組織力を殺いでいるんだと合点がいきました。
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劇場版BLEACH MEMORIES OF NOBODY |
2006/12/28(Thu)
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「かあちゃん『ブリーチ』の映画いつ見に行くの」
とヤイノヤイノせっつかれ26日に劇場版BLEACHを観て来ました。
いやあ、子どもより私の方がよほど楽しんだと思います。更木剣八の豪快な登場の仕方に、無声音で大笑いでした。
しかし「唸れ 灰猫」だの「舞え 袖の白雪」だの「散れ 千本桜」だの、呪文の数々が美しいなあ。
漢字が浮かばない(原作を読んでいない)人のためにスーパーインポーズがあってもいいと思いました。
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♯23:ドラマのだめ最終回 |
2006/12/28(Thu)
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ドラマのラスト、R☆Sオーケストラのパフォーマンスをどう位置づけたらいいかわからず、しばらく思考がとまっていました。今も止まったままなのですが、そこは竜巻の中の真空地帯ということで、触れずに置きます。
最終回を見終わった直後、脳内は暴風雨注意報で胸中は波浪警報、目頭には高波注意報が発令されました。
始まれば終わるものとは知りながらなおうらめしき最終回かな
か
終わっちまった悲しみに今日も小雪が舞いかかる
というところです。
ドラマのHPで遠藤雄弥くんの(大河内守役)連載コラム「打倒!千秋への道」最終回を読んで、激しく同感した私です。
さて、内容です。
ついに千秋が陥落しました。
「楽しくピアノを弾いて(それだけじゃ)なんでいけないんですか」
というのだめの残した問いに、
「それじゃ俺が聞けなくなるじゃねえか」
と自分の中で答を出す千秋。
これが追いかけられる千秋が追いかける千秋に変わる決定的瞬間。切り札だと思っていた「一緒にヨーロッパに行こう」を袖にされて、この上かける言葉も見つからないまま、かけつける。千秋にしたらなんともドラスティックな展開です。
一緒に来て欲しいけれど、心を閉ざして去ったのだめを思い出して「どうすればいいんだ」と弱気になる千秋。
大川に帰ったのだめの元へ向かう車の中で、思わず手にプリごろ太人形を握り締める千秋。
いいですねえ。このオノノキ。失いたくないという切なる思い。
そこに「のだめもヨーロッパに行きます」の電話が。
そして道端に電話をするのだめの姿が。
なんでこいつを抱きすくめずにいられましょう。
失いかけていたものを取り戻した千秋。失ったと思っていたものに包まれたのだめ。
この名場面を永久保存したくなった人は十万人を下らないと思います。
鬼千秋が指揮棒を折るシーンは見られませんでしたが、フジテレビを呪うのはやめます。呪うのはやめて続編かスピンオフか、玉木千秋をもう一度見せてくれろと陳情することを考えます。
そしてとりあえず大文字で書いておきます。フジテレビさん
のだめカンタービレの再放送をお願いします!!
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年賀状ジレンマ |
2006/12/27(Wed)
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ブログに書きたいことがいっぱいあるし、調べたいこと(自家レファレンス)もいっぱいあるのに、年賀状を書かなきゃならない。さすがにもう日にちに猶予はない。
でも年賀状をもらうのは大好き。
ジレンマです。
年賀状をもらうだけの人になる、いい方法はないかなあ蓮
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シュトレーゼマン 《服飾》 |
2006/12/27(Wed)
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弟(市民合唱団ゼンガークライス所属)に
「サイトウ・キネン・オーケストラって知ってる?」と聞くと
「え。知らないやつがいるのか?」
と問い返されてしまいました。
が、負けるもんか。
「シュトレーゼマンって知ってる?」
「人名だろう。政治家かのだめに出てくる人」
なかなかやるな。だけどそんなことなら私だって知ってらぁ。
「ちっがーう。社交服のシュトレーゼマン。
私も調べているんだけどさ『黒の上着と縞ズボンからなる男子社交服』ってことしかわからないのよ。
君、ステージ衣装のカタログで調べといてくれない。
第九歌ってるんだからドイツ語できる人だっているよね?」
かくて合唱団員と司書の勝負、弟と姉の競争が始まる。どちらが先にシュトレーゼマンに行き着くのか??
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一志治夫「小沢征爾サイトウ・キネン・オーケストラ欧州を行く」 |
2006/12/27(Wed)
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斎藤秀雄と小澤征爾。二人のイメージがいっぺんに掴めるおいしい本。
年に2週間だけその姿を見せるするサイトウ・キネン・オーケストラ。集まって2日目の練習で『オーケストラがうなりだす』という表現を見たとき、イケルと思いました。この本はきっと私に知らなかった世界を見せてくれるだろう、と。
たとえばパリ・シャンゼリゼ劇場。ドライで残響音が逃げるので、響かせたい所は長めにする。最前列の席に古毛布をかけて吸音させてリハーサルを行い、小澤から「お客を入れたらもっとドライになるよ。」という注意が飛ぶという具合。
これまでリハーサルは練習だと思ってきましたが、会場ごとのクセをつかみ、その劇場に合った音を作り上げるのがリハーサルなんですね。
臨場感があって、なんだか自分がオーケストラのおっかけに行った気分になれました。
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シュトレーゼマン≠モーニング |
2006/12/26(Tue)
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シュトレーゼマンStresemann の意味を調べていて、小学館の独和大辞典
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「ザ・ドレスコード―フォーマルに強くなる10カ条」 |
2006/12/25(Mon)
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燕尾服の謎を解くために、婦人画報社書籍編集部編 / 婦人画報社刊の ザ・ドレスコード―フォーマルに強くなる10カ条を読みました。
テイルコート(燕尾服)のポケットチーフはスリーピーク・マナー(三山折)に限るという指定がなかったのは何故かわかりませんが。
これがプロトコールでツーピーク・マナーでもよいということであるなら、そしてモーニングコートとテイルコートの後姿が載っていたら、満点でした。
写真が多く、小道具のことやTPOがよくわかります。
面白い記述があったので、少し長いけれど引用します。
他にテイルコートが着用される世界を探すと、音楽界の舞台の上がある。オーケストラの指揮者は、服装の簡略化が進む現代においても、この大仰な服を“ユニフォーム”としているのだ。 しかしながら、指揮者は昔ながらのテイルコートを忠実に着用しているわけではない。たとえば白ピケのベストを省略し、シャツの上にいきなり上着をつけていわば“ツーピース”型で着用するのが一般化しているのだ。 舞台の上でスポットライトを浴びながらタクトを振るのは、想像しただけでも楽な仕事ではない。だからそれくらいの省略は許されて然るべきなのだが、ヨーロッパの紳士たちは、この着こなしに眉をしかめたりする。ちなみに指揮者が簡略化したテイルコートを着るようになったのは、あのカラヤン以後のことという。じゃあ、じゃあ、ポケットチーフを省略するようになったのは誰以降?? 小沢征爾サイトウ・キネン・オーケストラ欧州を行くで見る限りポケットチーフ使用者は少数派です。 |
燕尾服はタキシードなのか |
2006/12/25(Mon)
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燕尾服の現代語訳として「タキシード」は適当なのかを調べてみました。
フリー百科事典『ウィキペディ(Wikipedia)』によれば
燕尾服(えんびふく・英:Tail coat)は男性の夜の最上級正礼服の一つ。白い蝶ネクタイを用いるため、ホワイト・タイとも呼ばれる。(後略)だそうで タキシード(英:Dinner jacket; Tuxedo)とは男性用の礼服の一つで夜間のみ着用される物であり、同じく夜間用の礼服である燕尾服よりもやや略式なものとみなされる。燕尾服が白い蝶ネクタイを用いるためホワイト・タイと呼ばれているのに対し、タキシードは黒い蝶ネクタイが用いられるためブラック・タイと称されている。(後略)なのだそうです。 つまり、裾(テールコートかテールレスコートか)とタイの色が、白と黒ほども違うんですね。 今までよくわかっていませんでした。恥ずかしや。 調べているうちに、今や燕尾服は過去のものとなりつつあり、(宮中晩餐会でもタキシード着用が認められ)生産は新郎用、社交(競技)ダンス用、オーケストラの指揮者用に特化されて、一般個人用の既製服はほとんど扱われていないということがわかりました。 まあ新郎でも社交ダンサーでもオーケストラ・コンダクターでもなくて燕尾服を欲しがるような人なら、ほぼ間違いなくオーダーメードするから問題ないのでしょう。 しかしここでまたまた疑問が・・・・。 オーケストラの、指揮者以外の男性は何を着ているんだ・・・・令 幾つかのサイトを見直すと、「現在燕尾服を着るのは花婿、社交ダンサー、オーケストラメンバーと指揮者だけ」と書いてあるところが一箇所だけありました。 手元にあった(たまたま借りていた)小沢征爾サイトウ・キネン・オーケストラ欧州を行くが写真の多い本で、これで見る限りサイトウ・キネン・オーケストラでは楽員も指揮者も燕尾服(ホワイト・タイ)着用していました。 しかしフジテレビのだめHPで見るR&Sオーケストラのメンバーはブラック・タイが多いです。つまり、燕尾服ではありません。 コレって、まだプロとして半人前の人が多いオケだという象徴なのでしょうか? そして原作も(コミックスが手元にないのでCD『「のだめオーケストラ」LIVE!』のライナーノートに引用された絵のみで)確認します。 オーボエ協奏曲を吹いている黒木君はホワイトのタイだけどテールレスです。燕尾服ではありません。 ブラームス交響曲第1番のとき楽員は上着のボタンをかけています。つまりこれは、燕尾服ではないということです。 そしてカルメン幻想曲のときの千秋の後姿。燕尾服というより・・・これは・・・まさか・・・モーニング? だめです。ほんの一部の抽出ではわけがわかりません。カムバーーック・マイ・コミックス嶺 |
♯22:弦楽ファンとドラマのだめ最終回 |
2006/12/24(Sun)
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『弦楽ファン』2007年 冬(月刊エレクトーン2007年1月号別冊 Vol.7)を読んできました。さうです。「特別企画 のだめカンタービレを愉しむ!」が載っているのです。
現在発売中の雑誌なのであまり詳しいことはいえませんが、リアル峰龍太郎さんのインタビューが楽しかったです。
さすが『弦楽ファン』だと思ったのが、“楽譜を投げたり叩き付けたりするシーンがイヤだ”という感想があったこと。
そうですね。日頃楽譜と親しんでいる人は、できれば楽譜を乱暴に扱うシーンは見たくないと思うことでしょう。私も玉木千秋が本を踏んで歩くシーンがあったとしたら、胸にザクッと来るものがあると思います。
でも、それが誰かの命を救うためなら話はまた別です。要は商売道具が「習慣的に」粗末にされるのが嫌なんです。
明日は大事な大事なシーンが放映される日。
つまり、「千秋が指揮棒を折る」日です。
つまらないことに怒って指揮棒を折っていたならどうしよう、と今からドキドキします。
もし、もし、もしも、このエピソードがすっかりカットされていたら、私は憤怒の涙に暮れてフジテレビを水没させることでしょう。ええ、きっと。必ず。
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音楽の友 2005年12月号 |
2006/12/22(Fri)
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月刊「音楽の友」Vol.63 N0.12と言えば。
そうです。[特別記事]『のだめカンタービレ』大解剖 が載っているのです。
文献複写依頼をする人のために書くと、p109~117です。いわゆる特集ものなので執筆者は多数。
ほとんど四半世紀ぶりに開く音友(おんとも)。あなたが何をもってのだめを評価するのか、その基準こそが音友の何たるかを語ることでしょう。
特別記事扉のリードで
『のだめカンタービレ』。その魅力はなんといっても実際に音楽が聞こえてくるかのように緻密に描かれた演奏シーンのリアルさ。と言い切るあたり、さすが音楽の友です。 作者インタビューのタイトルは【演奏シーンでは“その曲らしさ”をどう出すかに気を使います――『のだめカンタービレ』作者の二ノ宮知子に聞く】というもの。 音友さん「作者の二ノ宮知子に聞く」って呼び捨てなのは失礼じゃないの? 先生をつけろとは言わないけれど、取材協力してもらってるんだから「二ノ宮知子さんに聞く」くらい言っても罰は当たらないと思うのですが。 特集に付き物のキャラクター紹介にも音友の味が出ています。 作者によると本作屈指の人気キャラであるという峰 龍見(みね たつみ) [裏軒主人] が割愛されて、佐久間 学(さくま まなぶ) [音楽評論家]が入っています。 多賀谷 彩子(たがや さいこ)[千秋の元恋人]が省かれてエリーゼ[音楽事務所マネージャー]が入っているところからも、音友さんの住む業界が垣間見えるような気がします。 次なる記事は【飯森範親VS千秋真一――現役指揮者が聴く「千秋のブラ1」】 ブラームスの交響曲第1番を「ブラ1」と表記するのが音友ですねえ。 お次は音楽家が語る『のだめカンタービレ』の魅力コーナーです。 取材協力でおなじみの茂木大輔氏が、作品中のドイツ語がほんとに見事な口語のドイツ語であると褒めていたのが印象に残りました。 しかし指揮者の金聖響(きむ せいきょう)さんて、なんっていい名前なんでしょう。ここんちは代々音楽家なんでしょうか。 そして締め。 【検証:『のだめ』ブーム――大規模な「アウトリーチ」となった『のだめカンタービレ』】です。 「アウトリーチ」とは専門的な組織が一般向けに教育・啓蒙活動を行うことを指すのだそうで、たとえばオーケストラが地元の学校などを巡回演奏することをアウトリーチ事業というとのこと。 『のだめカンタービレ』は、クラシックをふだん聴かない人を魅了し、新しい聴衆を開拓した点において、図らずも大がかりなアウトリーチを展開しているといえる。と、そこなのね。評価のポイント。 作者にとっては褒め言葉だと思います。ご自身も囲碁漫画(10000中9999「ヒカルの碁」でしょう)を読んで碁を始めたと言ってましたし、作品中でニナがクラシックの聴衆減少を憂いていましたし。『のだめカンタービレ』がクラシックの裾野を広げているのはうれしいことだと思います。 でも、アウトリーチされる身分?としては、それはやっぱり二義的なところ。 『のだめカンタービレ』の功績はジェンダーの縛りを軽々と飛び越えて、新しい関係を提示していること。 自分がどう思われるかではなく自分がどう思うかを基準に行動するのだめ。自己愛のかけらもない、直情行動型と言えるでしょう。公道で千秋を蹴り倒すときの迫力そして瞬発力の源は、他者である千秋への愛です。 一方のだめの進化するピアノを聴き続けたい一念で、幾度雷(いかずち)に打たれてもその度に自分の度量を広げていく千秋。 このカップルが(どちらも互いの犠牲にならずに)音楽界を生き抜いて行けるのか。目を離せない昨今でございます。 |
♯21:ドラマのだめ第10話リプレイ |
2006/12/20(Wed)
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私がのだめのコミックスを買うと言ったとき万歳した彼女が
「昨日のドラマ。裏軒の『クリスマスケーキ予約受付中』の張り紙に書いてあるケーキの絵まで原作と一緒でしたー」
と喜んでいました。
え? 張り紙に絵?
あったかどうかも覚えていません。思わず録画を再生してしまいました。
(千秋の着替えシーンもあったし、頭から全部見てしまいました。今回特に名場面が多かったように思います)
原作では「ちょっと昔のいやなこと思い出して」という焼肉を食べながらの発言だけだった『だめ演奏の理由』が、映像による丁寧な叙述になっています。
フラッシュバックする幼い頃の、スパルタピアノ教師によるのだめ流血事件。
原作では流血事件の経緯が語られるのがコンクールのずっと後(確か実家で。コミックス現在手元になし)なので、それがコンクールとどう関係したか不明確です。波のあるのだめ、音楽に正面から向き合いきれないのだめ、の形成理由にはなりますが。
当たり前ですがドラマの方がドラマチックな演出です。
そしてこの頃「神童のだめ」に抱いていたコンプレックスを今も払拭しきれていないライバルの気持ちも丹念に描き出されます。
この瀬川悠人、原作の容貌体型にここまで近い人をよく探し出しましたねー。もしかしてCGで体型を補正している??
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♯20:ドラマのだめ第10話 |
2006/12/18(Mon)
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今まで、日曜の晩は少しばかり悲しかったものです。
「ああ、明日からまた仕事だぁ」と。
だけどこの一カ月ばかり、日曜の晩にわくわくするようになりました。
「あしたはのだめ。明日の晩にはのだめが見られる!」
と。
そして今日はその月曜です。
のだめを見ました。
今日まで生きてきて良かった。来週の月曜も無事に迎えたい。
心からそう思います。
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米原万里「打ちのめされるようなすごい本」 |
2006/12/17(Sun)
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打ちのめされました。
大概の本は図書館で借り、同じ本をまた読みたくなったらまた図書館で借り、更にもう一度読みたくなると予想された本だけを買うようにしているけれど、これはもう現段階(数編拾い読みしただけ)で買うことにします。
気になる本が載っているところをコピーしようとするとものすごい枚数になりそうで、とてもコピーしようという気はおきません。付箋紙をつけるだけでも、付箋を貼る位置をずらしながら貼ろうとすると、本の背以外のあらゆる方向に付箋紙が飛び出しそうです。
万里さんの書評は、評されている本を自分も読みたくなるという魔力をかくも頻繁に発揮しますが、毎回必ず発揮されていたのが「次週も万里さんの書評を読みたい」という気持ちにさせる魔力でした。
(万里さんは読売新聞で書評委員をしていました)
万里さんはどうして死んでしまったんだろう?
本人はもっともっと本を読んでいたかったのに。
その書評を、たくさんの人が待っていたのに。
誰が、この『感応する魂』を彼岸に連れて行ってしまったのか?
先に川を渡った書き手たちが、どうしても万里さんに自分の本を読んでもらいたくて連れて行ってしまったのかもしれない。などと埒もなく考えています。
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スワラップ「ぼくと1ルピーの神様」 |
2006/12/17(Sun)
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ヴィカス・スワラップ, 子安 亜弥 / ランダムハウス講談社 Amazonランキング:7586位 Amazonおすすめ度: ![]() 内容(「BOOK」データベースより) クイズ番組でみごと全問正解し、史上最高額の賞金を勝ちとった少年ラム。警察は、孤児で教養のない少年が難問に答えられるはずがないと、インチキの容疑で逮捕する。しかし、奇蹟には理由があった―。殺人、強奪、幼児虐待…ずっと孤独に生きてきた少年が、インドの貧しい生活の中で死と隣あわせになって目にしてきたもの。それは、偶然にもクイズの答えでもあり、他に選びようのなかった、たった一つの人生の答え。幸運を呼ぶ1枚のコインだけを頼りにしてきた孤児の、残酷だけれど優しさに満ちた物語。ひとつひとつのエピソードにはインドの暗い現実が伺われ、映像化されたら見るのがつらいんじゃないかと思いますが、それらが重なり合い関係しあい、怒涛の大団円へ。 物語という器にはこんな盛り合わせができるのかと、目が覚めるような一冊です。 |
シェトレ「舞台裏の神々」 |
2006/12/16(Sat)
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シュトレーゼマンが実在した!んです。
舞台裏の神々―指揮者と楽員の楽屋話
![]() 身につけるものに関して言えば、ウィーン・フィルハーモニーのでっぷり太ったコントラバス奏者も、ひどい目に遭ったことがある。夏のヴェローナでのこと、野外演奏の数時間前になって、彼は白いワイシャツを持ってくるのを忘れたことに気がついた。(何しろ彼は巨漢だったので、仲間のシャツを借りることができない。既製のシャツを買うことはできたが、そのシャツは彼の巨大な容積をカバーできない) せっぱ詰まった彼ははさみを借りて、買ったばかりのワイシャツをジョキジョキ切り裂いた。それを着ても背中の部分は燕尾服のなかに隠れて見えないというわけだ。ほっとしてアリーナに戻ったとき、主催者は気をきかせて、汗をかいている楽員たちに今日はとても暑いから燕尾服を脱いで、ワイシャツ姿のまま演奏してよいと言っているところだった。楽員たちは喜んだのは言うまでもない。ところがこの心やさしい主催者の驚いたことに、楽員全員は汗だくになりながらも、ちゃんと燕尾服を着込んで、粛々と舞台にあらわれたのである。今書き写していて思いましたが、面白い逸話を面白くまとめるのは結構難しいことです。(「簡潔さは才能の姉妹」byチェーホフ) シェトレさん、いい仕事をしてくれています。 <追記> しかし、カラヤンの影武者って何なんでしょう。(カラヤンの影武者だったら指揮だって出来そうな気がしますよね) 翻訳者の喜多尾道冬氏が、なんという言葉を「影武者」と訳したのかはわかりませんが、もしかしたらベルリン・フィルハーモニー―栄光の軌跡で、香川檀さんが「後ろ盾」と訳した言葉と同じドイツ語なのかも知れないと思います。 |
♯19:のだめ特集あれこれ |
2006/12/14(Thu)
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知っている人には今更ですがYahoo!の「のだめカンタービレ特集」が面白いです。
原作者インタビューは読み応えがありましたし、「のだめと千秋の一日を名曲に乗せて」は必見です。セクシー千秋やのだめと真澄ちゃんの壮絶な女の争い?など見どころ満載。
「のだめとクラシック」の章にも二ノ宮先生のコメントがいっぱい入っていてアンドレイのカットも添えられていて、興味深かったです。
全体にとても充実した特集だと思います。
関連商品のコーナーもも見やすくまとまっていました。
賂プレゼントにしようかと思ったのだめのピアノ柄トートバック。ビンボーなのだめの持ち物の割には意外とお高いです。
のだめが持っていたオリジナルはヨーコの手作りだったのかも・・・・。
そうそう、クリスマスまで待っていられないのがファミリーマート。のだめメニューは18日まで(未確認情報)と聞きました。
食べてみたいような食べて夢を壊したくないような令
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♯18:ジェイムズ・デプリースト氏 |
2006/12/14(Thu)
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マエストロ・デプリーストは実在した!んですね。
そして「徹子の部屋」にも出演していたと・・・・。
なんだかのだめも虚像実像が入り乱れ、「あぶさん」みたいになってきました。
どうして実在のデプリースト氏がのだめカンタービレ作中に出演することになったかはデプリースト氏と二ノ宮知子さんの対談に詳しいです。
対談もデプリースト氏の活躍ぶりも東京都交響楽団のサイトで見られます。
のだめ人気で都響のチケットが売り切れだとどこかのニュースで読みかじりましたが、千秋の上司(ルー・マルレ・オーケストラ音楽監督デプリースト氏)が振るんだったら当然です。
のだめファンなら一度は聞いてみたいでしょう。千秋に「幸福な夜だったな」とつぶやかせしめた、その音楽を。
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ご近所のクリスマス |
2006/12/14(Thu)
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当地は田舎でございます。それでも12月の声を聞くと、庭や家にイルミネーション賂をつける家がちらほらと。
直線距離で50mくらい離れたところに、いかにも「建築家が作った家」らしい家が建っています。
外壁真っ黒で窓の小さいガレージ風の2階建て。
(家の形容は難しいなあ)
その家は小さなベランダにイルミネーションをつけ、外壁にサンタの人形(空気で膨らますビニール製。成人大)が光るロープでぶら下がっています。
人形は屋根にロープをかけて上っていこうとしているところ、とも言えます。
しかしこのサンタ、油断せず抜かりなくそれがサンタであると心の準備をして見る必要があります。
昼間うっかりしたまま見かけると
「え? ドロボウ??」
と思ってしまいますし、暮れ方に気を抜いて真下を通ると
「ひっ 首吊り?!」
と驚くことがあります。
見ようによってはユーモラスな飾りつけ。でも私は等身大の人形ってちょっと苦手かな。
我が家だって思いっきりオリエンタルでジャパネスク(?)な柿の木に電飾をつけてるんだから、違和感ではいい勝負なんですが。
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鄭明勲「幸せの食卓」 |
2006/12/13(Wed)
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厨房のマエストロは実在した!んですね。
マエストロ、チョン・ミョンフンの「幸せの食卓」―名指揮者が語る音楽と料理のレシピ集
![]() |
さくらももこ「おんぶにだっこ」 |
2006/12/13(Wed)
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脚本家の北川悦吏子さんがおんぶにだっこという出産育児本を書いていましたが、こちらは子育ち本のおんぶにだっこ。
幼年期の思い出が淡々と綴られています。
我を忘れて泣き喚いたことも、太陽が燃え尽きるときの心配に小さな胸を痛めたことも、淡々と。
一章読むごとに、小さな子どもにも哀しみがあると感じます。
だいじな何かが壊れた、逃げた、死んだという悲しみだけでなく、願いがかなわないという悲しみだけでなく。
小さいももちゃんを襲った事件の数々。
どの事件も、根底には『変われない自分を時間が追い越していく』という哀しみが流れています。
この哀しみの前に、盗みを働いた慙愧や、インコのピーコを死なせた慟哭さえも「鳴り」を潜め、淡々とした筆運びになるのだと思います。
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たけよしさんの写真に寄せて |
2006/12/13(Wed)
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筑後平野どこまで続く野の小春
いつも見せていただくたけよしさんの写真。
ときどき、一枚の写真に対して歌や句が口をついて出てきます。何処より来たりしものなのか、唐突に、言葉が湧き上がってきます。
もとの写真に対して駄句に過ぎるのが申し訳ないのですが。
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♯17:ドラマのだめ第9話 |
2006/12/12(Tue)
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シュトレーゼマンについて行って欧州で指揮の勉強をするべきか、日本でR&Sオーケストラの再演を仕上げるべきか、千秋は迷います。
そこでのだめ、本領を発揮。
迷っていることの言い訳をする千秋に、
「けつの穴の小さか男ね」。
と言い放ちます。
人のせいにしないで自分で決めろという諌め。
二十歳を過ぎたばかりの女の子の罵言とは思えません。もはやのだめは、怒るべきときに怒ることができる立派な“女”なんだと思います。
のだめが自分の力でコンクールに優勝し、欧州留学の道を進もうとしているのだと、千秋に教える江藤はいい男でした。
天然の才能に勇気と根性とを足して、コンクールに挑むのだめでしたが、ショパンのエチュードで実力を発揮することができませんでした。
のだめが集中力を欠いていたのではなく、ピアノ教室時代のライバルに再会してトラウマがフラッシュバックしたせいで。
がんばれ千秋。今度は君の番。
今度はあなたが、幼児期(学童期?)の悲惨な思い出からのだめを開放してやって・・・・・。
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三浦しをん「シュミじゃないんだ」 |
2006/12/12(Tue)
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のっけから著者は叫びます。
「趣味」じゃないんだ。私にとって、漫画を読むというのは、すでに「生きる」というのと同義語だ!シュミじゃないんだ ![]() そして、少女たちが漫画に求めていたのは「人間(もしくは男女)関係を、いかに築くべきか」の見本市だったのではないか、という結論に至った。 同年代の男の子たちが少年漫画を読みながら、「俺も番長になって近隣の不良校を制圧してやるぞ」とか(中略)、「翼くんとワールドカップに行くために、今日も球蹴り遊びに興じようぜ!」などと熱心に思っていたそのころ、女の子たちは「関係性」について熟考していたのだ。そうでしたかそうだったのかそういうわけだったのね。 やっぱり社会的マジョリティーに属する(とされる)人間は、『関係性』全般に対して鈍感になりがちなんじゃないかな。あまり考える必要性を感じないんだよ。それでか!! (今日職場で、イヤというほど思い当ることがありました) 著者の薦める漫画に間違いはないと思います。きっとはらわたが捩れたり、涙腺の堰が切れたりすることでしょう。 でも、だからこそ著者の紹介した本は読むまいと思います。 依存性や中毒性のありそうな、あるいは火傷しそうな漫画ばかり。君子じゃないけれど危うきは遠ざけたい・・・・。 (といいつつ「金魚屋古書店」シリーズを買おうかなと、ちょっとだけ思っていたりして) <追記> Amazonを見てきたら、「金魚屋古書店 1 (1) |
石田ゆうすけ「洗面器でヤギごはん」 |
2006/12/11(Mon)
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世界一周。
自転車で!
7年半かけて!
強盗にあっても屈せず!
現地の食事でエネルギーをとっては、こぎ続けた男が書いた、《世界の食べ物》の本。
タフネス!
石田ゆうすけ/ 実業之日本社
食べ物のために旅しているのではないので、グルメ本ではありません。写真の一葉もありません。
けれど、そこにいる人の声が聞こえそう。料理のにおいがして、皿から昇る湯気が頬にかかりそうな気がします。
料理は土地柄と人柄で出来ているものなんだと思わせてくれます。
感心したのは旅に飽きたときの対処法。
日本を出て2年半、旅することが日常になってしまい、旅に飽きたと感じた著者は「住む」「働く」ことを選びます。
ロンドンにアパートを借り、市内の日本料理(弁当)店の料理人として通う。それこそ旅が日常化したときの非日常だと。
ビザが切れる前日に、また自転車を漕ぎ出した著者。
周囲の人と一緒に、ふらつく自転車の後姿にエールを送りたくなります。
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