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映画「デスノート」あんまりな話
2006 / 11 / 12 ( Sun ) 20:41:47
映画DEATH NOTE the Last name [後編] は、とても面白かったのだけれど、一つだけ「これはあんまりだ」と思ったシーンがあります。 松田に狙撃されたライトの腕時計。文字盤がずれて隠されていたデスノートの紙片が露出します。 その紙切れに血文字で書かれていた人の名は「高田清美」。 どうしてライトが過去の殺人の証拠なんか持ち歩いているの! そんな危険なものとっとと処分したらいいでしょうに。 これでは・・・・秀才どころか凡人以下です。
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映画「デスノート」ラストシーン
2006 / 11 / 12 ( Sun ) 19:15:08
キャラクターの持ち味を壊さずに、エピソードを入れ替えて使うことに、ほとほと感心させられた映画でした。 しかし原作と明らかに違うところもありました。 (以下既に映画をご覧になった人は反転して読んでください) まず映画のL(竜崎)が自分の命を犠牲にしてキラをあぶりだしたこと。 原作のL(竜崎)なら、自分が死ぬことで成立する作戦は「負け」であり、絶対に避けるでしょう。 そして映画の月が自ら父親の名をデスノートに書いたこと。 それも大した逡巡も躊躇もなくあっさりと。 原作の月はできうる限り肉親の名をデスノートで殺すことを避けようとしていました。逮捕→死刑を避けるためにどうしても必要になった場合も、泣いて馬謖を斬ったと思います。 (本当の正義は総一郎の側にあるのでこの表現は当たらないかもしれませんが、月の信じる正義からすれば「泣いて馬謖を」が相当するでしょう) そして話題の夜神総一郎。 キャラクターは変わっていませんが、L(竜崎)と月との変化のおかげで運命が変わりました。 原作では息子がキラではなかったと安堵して死んで行ったのでしたが、映画では息子がキラであり、かつためらいなく父である自分を殺そうとしたのを知った上で、生き続けなければなりませんでした。 世間からは「前途有為な息子をキラに殺された男」という同情を受け、その実「世にも恐ろしい殺人鬼キラを育てた男」という事実を腹心たちに知られているという複雑な事情を背負い、妻にも娘にも決して事実を悟らせないよう気遣い続けるストレスフルな人生。 L(竜崎)が今際に総一郎に対して語った、総一郎の父性に対する賛辞は、せめてもの餞でした。 映画の大団円は死んで行く者が生き残るものに餞を残していくシーン。 これがあったから、夜神家のその後にも哀切さと共にある種の平安が感じられるのだと思います。

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