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♯12:決壊
2006/11/30(Thu)
義妹からのだめカンタービレ (15)のだめカンタービレ (16)を借りました。 義妹はとてもおおらかに 「これも一ヶ月くらい読んでていいよ」 と貸してくれました。 1-14巻は既に3・4回読んでいて、あと二週間あればもう3・4回は読めるし、これからもこうして1ヶ月単位で借りられるなら、もうこの本を買わなくてもいい、と理性は言うのです。 狭い家にこれ以上増殖するマンガは置けないと常識がささやき、家をのだめで散らかすなと夫はけん制します。 でも。 私は負けた。負けました。陥落。落城。決壊です。 今日、生協書籍部に「のだめカンタービレ1~16巻、各1冊。私費」で注文しました。 致命傷はアンドレイと少年モーツァルトの夜陰の語らい(於15巻)だったでしょうか。はたまたのだめコレクションの傑作写真(於16巻)のせいかもしれません。 なにしろかにしろ、「千秋(アンドレイ)を所有したい」一念が群雲のように沸いてきて、理性も常識も夫の声も宇宙の彼方へ押しやられました。 さよなら理性。さよなら常識。 そしてどうしよう家庭の安寧。 もう、フェアリーリング(菌輪)の中心に座り込んだ気分です。
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散り紅葉
2006/11/30(Thu)
散紅葉かくも豪奢な雨上がり 黄金をうち重ねつつ銀杏散る 散り敷ける槻の紅葉の鳴る舗道
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♯11:ドラマ「のだめ」第7話
2006/11/28(Tue)
月曜日は午前中から「今日は『のだめ』の日!」とうきうきする私。 ドラマを見てから、ネットでドラマの評判を読むのもまた楽しみ。 今週(7話)に関しては、峰の科白が原作と違っていたことに多数の人が言及していました。みなさん「おれと親父で3日3晩寝ながら考えた」という科白を愛していたんですね。この科白が大好きで、出てくるのを心待ちにしていた(そして裏切られた)のがよくわかります。 私も、誰にも頼まれていないのに、ついついテレビ画面に向かってプロンプターを務めております・・・・・。 さて今回の演出で気になったのは、夢色クラシック誌に匿名電話をかけた「犯人」が分かりづらかったこと。 裏軒の親父を映すときに「犯人」ってスーパーインポーズしてほしかったな。 それと江藤耕造がおなら体操を踊っていたこと。 ここは踊りではなく作曲の手伝いをしてもらわないと、留学してから対位法に苦労したとき何にも思い当らなくて困るじゃないですか。 やはり、ドラマは国内編で終わりなのでしょうか。 カナシイです。 望外の喜びは清良のソロでメンデルスゾーンのホ短調が聞けたこと。 この曲大好き。 (その割りには曲名に自信がない。確か33番) そしてこれからの楽しみもできました。
らーらーら じゃなくて ら~らーら」
という指示を、玉木千秋はいつ、どのように歌うのでしょう。 楽しみだなあ。
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梨木香歩「水辺にて」
2006/11/28(Tue)
自分の場合、文体は書く内容によって変わってしまいます。 しかしこのプロフェッショナルは、常に静謐。
水辺にて―on the water/off the water
梨木 香歩 / 筑摩書房
思わず耳を澄ませて次の言葉を聞きたくなるような感じです。 実際には読んでいるのですが、著者の言葉が静寂の中で小さく鳴っているような気がするのです。 梨木香歩さん。 この方が慌てたり騒いだりすることってあるのでしょうか。 「水辺にて」はエッセイだけれど、まるで小説の中のモノローグを読んでいるようです・・・・。
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♯10:ヘア・ドゥーン
2006/11/27(Mon)
千秋の華々しい見せ場の後に来るから目立たないけど、ドゥーン先生が弟子(清良)といっしょにR☆Sオーケストラのリハーサルに参加する場面が大好きです。 R☆Sオーケストラのデビュー公演で、真っ先にブラボーを叫んで立ち上がったドゥーン先生。 R☆Sに「ベルリンフィルの音」を携えてきてくれた。 こんな大人になれたらなあ・・・・。 カイ・ドゥーン先生の世界のコンマスぶりが見られるのは8巻です。
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♯9:生命は
2006/11/26(Sun)
のだめを読んでいると思い出す詩があります。 吉野弘さんの「生命は」という詩です。   
「生命は」 生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい 花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で 虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする 生命は その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ 世界は多分 他者の総和 しかし 互いに 欠如を満たすなどとは 知りもせず 知らされもせず ばらまかれている者同士 無関心でいられる間柄 ときに うとましく思うことさえも許されている間柄 そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ? 花が咲いている すぐ近くまで 虻(あぶ)の姿をした他者が 光をまとって飛んできている 私も  あるとき 誰かのための虻(あぶ)だったろう あなたも  あるとき 私のための風だったかもしれない
二ノ宮 知子 / 講談社のだめカンタービレ (9)
千秋が感じていたことを、言葉にして示した佐久間学。 佐久間もこのとき、千秋のための風だったかもしれない。
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♯8:千秋の祭典
2006/11/26(Sun)
千秋にあるのはカリスマ性。ないのは美貌。 少女マンガの三種の神器(ぱっちりした目、睫毛、背景の花)のひとつだになく、私は寂しかった・・・。 のだめカンタービレ (8)
二ノ宮知子 / 講談社 けれど、8巻を読んだらもう文句は言わない。 何もかも叩き込んでしまうこの見せ場。 神様シューマン様千秋様。ついていきますどこまでも。 影と光、静と動、緩急、ロングとアップ。 音のない紙の上で、白と黒だけの色で、どうしてこの躍動感が出せるのか。 燕尾服のシーンだけでも名香智子(燕尾やスーツを描くのがめちゃくちゃ上手いです)に描いてもらいたいという夢は捨てます。 のだめはこの著者にしか描けないのだと思い知りました。きっとテレビ(実写)でもこの感動は出せないと思います。 R☆S(ライジングスター)オーケストラの初演以降、どこにいても何をしていても、目の中に星があってもなくても、千秋は常にいい男です。 髪型がどんどんひとり暴風雨状態になっていくけど、もういい、なんでも笑窪。 圧巻の8巻です。
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♯7:ネッシー江藤
2006/11/26(Sun)
実社会にも、峰くん父子ほど純粋でけれんみのない人がたまにはいるでしょう。きっとオスの三毛猫くらいはいると思うし、いてほしいです。 のだめカンタービレ (7)
二ノ宮知子 / 講談社 すけべなマエストロも稀にはいることでしょう。野生の大熊猫のように、少し遠くから見ていたいものですが。 でも本当に珍しいのは、ほとんど夢のようにネッシーのように思われるのは、ハリセンを捨てた江藤耕造です。 たった一度生徒(千秋)に逃げられただけで、江藤は変わります。 涙ぐましい努力をしてのだめと協定を結び、スパルタ式を止め、のだめにあった選曲、のだめにあった指導の順序、方法を考えます。 逃がした魚がどんなに大きかったとしても、竿も仕掛けもみんな取り替える人がどれだけいるでしょう。 その以前に、素晴らしい釣果をたくさん上げている竿、時間をかけて作り上げた仕掛け、それをみんな投げ出す? たった一度の失敗から、自分のスタイルを変えることができる大学教授。 その柔軟さはもう、夢の領域だと思います。
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♯5:玉木宏の千秋ぶり
2006/11/26(Sun)
テレビで千秋真一役を演じている玉木宏くんは、息子と同じ誕生日。 声が中井貴一に似ていると思うのは私だけ? のだめカンタービレ (5)
二ノ宮 知子 / 講談社 マンガの千秋も検討はしているのですが、顔があっさりしている(眉が極細で唇が厚い。目力がない)ので、どうしても玉木千秋の方が華やかに思えます。 Sオケでの見せ場も、テレビの方がはるかに派手でした。 動く画であるということ、色と音があるということ、どちらから見ても実写の方がイメージ鮮明であることは間違いなく、原作Sオケよりもテレビのだめオーケストラの方が格段に魅力的だと思います。 千秋がタキシードを脱ぎ捨ててSオケオリジナルTシャツで指揮するところとか、学園祭コンサートのピアニストぶり(殊にコンチェルトの終わりの部分)とか、ドラマならではの演出で、名場面だったと思います。 (テレビのだめでは千秋の苦い思い出に歪む顔を長く映す演出が気に入りませんが) コンサート本番シーンだけでも、録画しておけばよかったなあ・・・・。 *シュトレーゼマンは原作の方がかわいいです。テレビから入った人にはぜひ、原作のシュトレーゼマンも見てほしいと思います。
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安井一徳「図書館は本をどう選ぶか」
2006/11/26(Sun)
安井 一徳 / 勁草書房 読んですぐ役に立つ本ではないと前書きにありました。しかも、卒業論文として書かれ、卒業後短い期間で加筆修正して出す本。 これを《図書館の現場》シリーズに入れるのだから、勁草書房はよほどこの著者を買っているんだなあと思います。 著者は国立国会図書館勤務。 法に定められた納本制度を持つ国立国会図書館。 選書の必要がない国立国会図書館職員に、限りある予算と多様な要求の間で悩む選書の苦労がわかるのか玲 言論の自由は保証されなければなりません。 すぐに役に立つ本だけがいい本ではありません。 (現にこれはいい本だと思います) この本で初めて知ることが幾つもあったからって、この汗顔は私のせいで、著者のせいではありません。 でもねー、どうしてこれが《図書館の現場》なんだか、ついにわかりませんのです。
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♯5:千秋カプリチオーソ
2006/11/25(Sat)
あまりファッション誌を読んだことがないけど、ヘアスタイルには「毛先を遊ばせる」という表現があるらしい・・・・。 のだめカンタービレ (5)
二ノ宮知子 / 講談社 のだめワールドの男性陣は毛先が遊びほうけている人が多いです。シュトレーゼマンも松田も江藤も。 だけど、なんといっても千秋が一番。 毛先が放蕩の限りを尽くしてます。
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金子明人「クレマチスギャラリー」
2006/11/23(Thu)
Clematis Gallery―美しさでひもとくクレマチス図鑑
金子明人 / 草土出版 写真は素晴らしくきれいなんだけど、カバーの背がオレンジの地色に橙色の文字という、とても見づらい取り合わせ。中高年購買層を無視しているとしか思えない装丁です。 (中身を見たら買わずにいられなくなってしまったんですが) クレマチスの本は、「青紫の花弁が」と解説されている花の写真がどう見ても赤紫だったりすることが多いので、その点でこの本は優秀。写真と解説が大体合っています。 問題は《柿生》。日本育種家が創出し、世界があっと驚いて迎え入れた大人気種。 解説者は「深みのある鮮紅色」と書いているけど、写真は濃いピンク。海外での流通名はピンク・シャンパーン。・・・・いったい本当はどんな色? 来シーズンにはぜひ本物を見てみたいと思います。
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♯4:のだめカフェオーレ
2006/11/23(Thu)
あ、オーケストラのチューニングだ・・・・・と思ったらぴーぴーやかんの鳴り始めでした。 のだめカンタービレ (4)
二ノ宮知子 / 講談社 漫画は夫と読み、TVドラマ「のだめカンタービレ」は夫と子どもと見ています。ただし子どもは寝るのが遅くなるので録画で翌日。 夫は使ったものは片付ける主義で、私と子どもはまた使うかも知れないものは出しておく主義です。なので私と子どもが二人でいるところに夫が帰ってくると 「なんだこれは。きれいな部屋はどこへ行ったんだ?」 とよく言われました。 「はいいっ。今片付けます」 と答えてあわてて立ち上がったものです。 しかし最近は 「なんだここは。のだめ部屋か」 と言われます。 私は 「いえ、それほどでは」 と答えて婉然と笑います。それから立ち上がって片付け始めます。 我が家は今「皇帝」「女帝」「子弟」の3人家族です。
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♯3:のだめワールド出演者
2006/11/23(Thu)
油断していると雷(いかずち)を発するのだめ。 まるで間欠泉のような才能? のだめカンタービレ (3)
二ノ宮 知子 / 講談社 てなわけで(どんなわけだか)そろそろのだめワールドに慣れてきました。 のだめワールドは「単純明快」な人物たち「単刀直入」でしゃべり、まことに軽快な展開。長いモノローグがないので、テンポがアレグロです。 バイオリン派手派手奏法開拓者の峰くんとその父を筆頭に、感動家さんで気持ちがすぐ顔や行動に出る脇役さんたちが、とても愛しいです。 こういう人たちを見ていると、人間が生まれ、生きている喜びを感じます。大げさなようですが。 いいぞ、峰くん。ガンバレ! 竹を割ったようにまっすぐで単純な君が好きだ。 峰くんの親父さん。そのまっしぐらな親心に杯を挙げよう挙げましょう。さあさあプロージット!
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♯3:のだめ序曲
2006/11/23(Thu)
のだめは、旧制高校のバンカラ学生のようです。 入浴は2日に一度、洗髪は5日に一度。それももらい風呂。 のだめカンタービレ (2)
二ノ宮 知子 / 講談社   旧制高校と違うのは、妙齢の女性が若い男性の部屋に押しかけて食べさせてもらい、風呂をもらって(奪って?)いること。 「ガスを止められてお風呂に入れないからお風呂貸してください」って、なかなか言えることじゃないけど、《恥》に囚われない人は強い・・・・。 野良犬または雑菌の強さを感じさせるのだめ。 女性性を売るのではなく命のたくましさで勝負です。 男女間にあまり見られないその攻勢法に、たじたじの千秋。 飢えた隣人(のだめ)に食べさせ、饐えた隣人(のだめ)の頭を洗う千秋って、ゴーマンだけどマザーシップに溢れた変な人。 「見ちゃいられない」から見捨てる。 「見ちゃいられない」から手を出す。 千秋っていい人じゃん。 指揮者向きの性格だと思います。
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♯1:のだめとは何か
2006/11/22(Wed)
のだめが野溜に通じることに、どれだけの人が気づくでしょう? 著者は(そして講談社は)もちろん、わかっててネーミングしたんだよね?? のだめカンタービレ(1)
二ノ宮知子 / 講談社 タイトルが「のだめ」では尋常ならざる展開を期待せざるを得ません。 はたして、クラシックといえば変奏曲しか思い浮かばない自分にとって、「のだめ」ワールドは十分過ぎるほど非尋常でした。 何が尋常でないかって、なんといっても主役の造型の型破り加減です。 野田恵はひたすら欲望(食欲・ピアノ欲・千秋への情欲)に忠実に生きるという、今だかつてないヒロイン。 のだめ(野田恵短縮形)の辞書には「清潔」や「整理整頓」という文字がありません。 ヒーロー千秋真一の辞書には「貧乏」と「謙譲」がありません。が、彼は努力を惜しまぬコツコツ型で、(その楽の音が美しければ)他人の才能の前にも素直に頭を垂れます。 つまり「オレ様」男でありながら、音楽の下僕であるというアンビバレンスな存在。目を離せない主人公です。 巻が進むほどに、二人が二人とも、互いの存在を愛しているのか互いの音楽を愛しているのか分からない状態になっていきます。 その人間的魅力と音楽性の分かちがたさを楽しんでいくのが「のだめカンタービレ」というドラマを読む醍醐味ではないかと思います。
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♯0:のだめ入手!
2006/11/20(Mon)
青い鳥は近く(直線距離で800m)にいました。秊 なんと義妹が「のだめカンタービレ」1-14巻を持っていたんです(15・16巻は品切れ状態とか)。 よい妹を持つ人と結婚してよかった璉 今夜はカンタービレ鍊カンタービレ鍊カンタービレ鍊 眠れない、今夜弄
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小林路子「森のきのこ採り」
2006/11/19(Sun)
小林 路子 / 白日社
面白くて美しい文章です。 「日本の頭脳」と謳われた大学の先生(専門はバクテリア)がきのこ採り道に踏み惑い、 「ゼミの学生にマツタケのシロ見つけてきたら単位をやるぞ、なんていっちゃおかな――」 と言い出すくだりはおかしかったです。 チョウセンゴミシ(朝鮮五味子)の色を説明するのに 地元の老女のいう 「これは、いまに、もっと赤くなるんだよ。赤く、透明になって、向こうに浅間山が透けて見えるんだ」 という言葉を引いてくるところに震えました。 朝に夕に浅間山を見てきた人にしか言えない言葉を、よく摘み取って来てくださった。 向こうに浅間山。チョウセンゴミシの赤を透かせて見る浅間山。 きのこ採りは・・・・・幽いです。
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マウス買いました
2006/11/16(Thu)
マウスを買いました。 マウスが壊れて以来、やっとこすっとこ更新するだけで全然推敲できなかったので、まずは記事の推敲から始めました。 道具によって文章は変わるものですね? さてこのマウス。 実に久しぶりにPCショップに行ったので、何がいいのかよくわかりませんでした。 狙いは「面白いデザイン」だったのでしたが。 ねずみをかたどったものやテントウムシを模したもの、はたまたウルトラマンの顔をアレンジしたマウス。 そういうものが欲しかったけど、・・・・ひとつもありませんでした。 何軒か探せばあったかもしれませんが急を要したので、そこにあった中で一番廉いのを購入しました。 とりあえずこれで、運命のマウスに出会うまでを凌ごうと思います。
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都築響一「夜露死苦現代詩」
2006/11/16(Thu)
夜露死苦現代詩 都築 響一 / 新潮社 この本を読んでいると、 「詩」とはリズミカルな言葉である と決めつけたくなります。 どっどど どどうど どどうどどう 優れた詩には意外性のある言葉が含まれる と蛇足もつけたくなります。 かすかなる むぎぶえ 美しい言葉がなくても、難しくなくても、詩。 何にも縛られずに楽しみましょう。 <追記> この本には宮沢賢治や谷川俊太郎など、文学史上有名な近現代詩人は出てきません。もっともっと、市井の、職人芸の、あの、その・・・・。
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4コマ哲学教室
2006/11/13(Mon)
南部 ヤスヒロ, 相原 コージ / イーストプレス この本を読んで、「世界に一つだけの花」の歌詞をはじめて眼にしてがっかりしたことを、鮮やかに思い出しました。 歌として聞いていたときは「いい歌だなあ」と思っていたのですが、それはこの歌が NO.1になれなくてもいい もっともっと特別なonly1 と聞こえていたから。 一つの価値観の中で一番を目指すより、独自性を磨いて一芸に秀で、結果として社会に多様性をもたらすことをよしとする・・・・『もっともっと』独自性を磨くための応援歌だと思ってたんです。 それが実は
No.1にならなくても いい もともと特別な Only one
だったなんて。 ・・・・『そのまま、ありのまま』でいいっていう肯定歌だったんですね。 「そのままでいい」 と 「その方向でいい」 は大違いです。 ヘーゲルは
「自分のありのままにある」ことに満足するのではなく、「自分がそうなりたいと願うものになる」ために力を尽くすことが大切だと考えました。
といったそうです。 ヘーゲルなんて、今の今まで名前しか知らなかったけれど、今からは同胞。 私が同胞ではヘーゲルの側に不満が生じるかもしれません。が、ここは有名税として私の共感を収めていただこうと思います。
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マウスが壊れた!
2006/11/13(Mon)
マウスが壊れました。 ノートパソコンなので、原理的には操作可能ですが、まるで初めてパソコンに触ったときのような速度でしか動かせません。 「はがゆい」ってこういうことだったんですね・・・・。
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映画「デスノート」あんまりな話
2006/11/12(Sun)
映画DEATH NOTE the Last name [後編] は、とても面白かったのだけれど、一つだけ「これはあんまりだ」と思ったシーンがあります。 松田に狙撃されたライトの腕時計。文字盤がずれて隠されていたデスノートの紙片が露出します。 その紙切れに血文字で書かれていた人の名は「高田清美」。 どうしてライトが過去の殺人の証拠なんか持ち歩いているの! そんな危険なものとっとと処分したらいいでしょうに。 これでは・・・・秀才どころか凡人以下です。
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映画「デスノート」ラストシーン
2006/11/12(Sun)
キャラクターの持ち味を壊さずに、エピソードを入れ替えて使うことに、ほとほと感心させられた映画でした。 しかし原作と明らかに違うところもありました。 (以下既に映画をご覧になった人は反転して読んでください) まず映画のL(竜崎)が自分の命を犠牲にしてキラをあぶりだしたこと。 原作のL(竜崎)なら、自分が死ぬことで成立する作戦は「負け」であり、絶対に避けるでしょう。 そして映画の月が自ら父親の名をデスノートに書いたこと。 それも大した逡巡も躊躇もなくあっさりと。 原作の月はできうる限り肉親の名をデスノートで殺すことを避けようとしていました。逮捕→死刑を避けるためにどうしても必要になった場合も、泣いて馬謖を斬ったと思います。 (本当の正義は総一郎の側にあるのでこの表現は当たらないかもしれませんが、月の信じる正義からすれば「泣いて馬謖を」が相当するでしょう) そして話題の夜神総一郎。 キャラクターは変わっていませんが、L(竜崎)と月との変化のおかげで運命が変わりました。 原作では息子がキラではなかったと安堵して死んで行ったのでしたが、映画では息子がキラであり、かつためらいなく父である自分を殺そうとしたのを知った上で、生き続けなければなりませんでした。 世間からは「前途有為な息子をキラに殺された男」という同情を受け、その実「世にも恐ろしい殺人鬼キラを育てた男」という事実を腹心たちに知られているという複雑な事情を背負い、妻にも娘にも決して事実を悟らせないよう気遣い続けるストレスフルな人生。 L(竜崎)が今際に総一郎に対して語った、総一郎の父性に対する賛辞は、せめてもの餞でした。 映画の大団円は死んで行く者が生き残るものに餞を残していくシーン。 これがあったから、夜神家のその後にも哀切さと共にある種の平安が感じられるのだと思います。
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映画「デスノート」後編
2006/11/11(Sat)
映画「デスノート」後編を11月5日に観に行ったのですが、プログラムが売り切れでした。 封切3日目にして売り切れだなんて、たしかに凄い話題作です。 さて、中身。 前編よりずーっと良かったです。夫も息子も原作を読んでいませんが、とても面白かったと言っています。 息子なんて前編も見ていないんですが、それでも十分堪能できたらしいです。 リューク、レム、ジェラス、彼ら死神の容姿が美しい爬虫類のように目に映ったみたいで、「恐いけど目が離せない」状態でした。 私としては、L(竜崎)の活躍が原作を上回るものだったので、期待以上の面白さでした。 ほんとにもう、映画の竜崎には 「そ、その手がありましたか」 と、脱帽です。 私はこの映画をアニメ化して劇場公開してほしいと思います。もちろん小畑先生のキャラクターデザインで。 劇場版アニメ「デスノート」が実現したら、きっと初日にプログラムを買いに行きますとも!
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暮れやすし
2006/11/07(Tue)
ひとり子が灯り点せり冬立つ日 夙く帰る火なき炬燵に子が待てば
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松本浩彦「胃袋ダイエット」
2006/11/04(Sat)
確かに、 「これを食べると食べすぎだから、とっておいて次の食事に回そう。とっておけないから今は食べちゃって、次の食事を減らそう」 なんて考えているといつの間にか減量作戦はうやむやになってしまうもの。 食事ごとに余分量を「捨てて」いくのが確実です。
でも、食事の3割(目標値によって2割のことも一割のこともあるけど)を「捨てなさい」というのがネックです。 「もったいない」という思いにとらわれる人に向けて 「あなたは不必要な食物を胃の中に捨てているだけ」という著者。 「ごみとして捨てればものの命はそれまでだけれど、食べておけばそれが血肉になって、災害時に自分を一日長く生かしてくれるかもしれないではありませんか」 などと考える私には無理なダイエット本でした。
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