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クレマチス菌
2006/06/30(Fri)
生きとし生けるものいずれかクレマチス育てざる と思うくらい、私はクレマチスのビョーキです。(ウドンコ病に罹っているというわけではありません) 他所の家のフェンスや垣根を見るたびに、どうしてこの家はクレマチスを育てないのだろう、もったいないと感じます。クレマチスでなくても、朝顔とかつるバラとかが絡んでいればいいけれどが、何にも絡んでいないクロスラティス見ると惜しくて惜しくて・・・・。 ついつい 「あそこに柿生があれば映えるだろうなあ。ドクター・ラッペルでもいいな」 「見事なフェンス! ここに紫杯とペベリール・パールがこもごも咲けば・・・」 と考えては、うっとり。 クレマチス菌は脳に来ますが、病識があるので入院の必要はないでしょう。 ただ運転中にこの病が出ると危ないので、他所のフェンス観察は助手席のときだけにしようと思います。
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果球の変容
2006/06/29(Thu)
よそんちのクレマチスですが、公道に首を伸ばしているんだから、触るだけはいいよね? と誰にともなく語りかけながら、通りすがりに撫でていたクレマチスの果球。 見た目よりやわらかいという最初の印象でしたが、いよいよふかふかになって来ました。柴犬の背中のようだったものが、チャウチャウの頭になってきたような・・・。 ところで私は毎日帰り(宵または夜)に撫でてくるけど、夫は朝(夜勤なので恒常的朝帰り)なでているらしいです。 「あそこのクレマチスさー」 と話しかけるとそれだけで 「だいぶやわらかくなったなー」 という返事が返ってきます。 危ないなあ。白日の下で毎日触っていたなんて、他所の家を覗いていると誤解されないように気をつけてもらわなくちゃ。 とりあえずこれで、クレマチスの一鉢か二鉢は夫の反対を受けずに買えそうです。鉢物の水遣りはかなりの高率で夫がしているので、彼の賛成を得ることはとても重要。 ピクシーといっしょに、夫の好きな(そしてもちろん私の好きな!)青系の品種を買おうと思います。(夫がなんと言おうが)目下一番のあこがれであるフラウ・ミキコを。
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オオキンケイギク
2006/06/28(Wed)
あちこちに見られる大金鶏菊が外来特定植物に指定されていたのを父の記事で知りました。 オオキンケイギク。金鶏鳥の鶏冠のように花弁に切れ込みがあり、一重・半八重・八重咲きのどれもみな、お天道様から零れ落ちたかのような明るい黄色。 この草のどこに罪があるのかと思いますが、無許可で栽培すると罰せられます。官がかった公園や花壇では抜き取りも始まっているようです。 しかし個人レベルで、この花を庭で育てている知人に 「届出をしないと違法行為になりますよ」 なんて言えるでしょうか。 または道端に生えて、黄色い頭を揺らして咲いているこの花を、むしり取れるでしょうか。 いえ、私は毟りません。 だけど道端や公共スペースに咲いていたら、花を切ってきて家に飾ります。 在来種を駆逐する勢いがあるこの花を、結実前に刈り取るのは大いに法の目的にかなった行為です。環境庁にはできる限り協力しなければ?
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身体知
2006/06/28(Wed)
身体知-身体が教えてくれること
からもうひとつ引用します。
ノイジーなもの、語義のはっきりしない言葉がコミュニケーションの場にはどんどん出てくるわけですけれど、それを不快だとは思わない。それを意味不明だといって構わない。そういうことができる人が「コミュニケーション能力が高い人」だと思うんです。きちんと理路整然としたセンテンスでないと送受信できないというのは、ぼくに言わせるとコミュニケーション能力が高いんじゃなくて、むしろ低いんじゃないかと思うんです。そういう言葉しか語れない人は、他人から発せられるメッセージの中に少しでもノイズが混ざるともう聞き取れなくなってしまう。  ノイズを相手に差し出すのもある種の贈り物だし、相手が発するノイズを声に変換してあげて聞き取ってあげて、メッセージとして解釈するのもやはり一種のコミュニケーションの贈り物だと思うんですね。相互的に許しあう行為、贈り合う行為じゃないかと思うんです。
うーむ。いいこというなあ。「文脈を読め」とか「行間を読め」というのも、「ノイズごと聞き取れ(読み取れ)」ということなのでしょう。ノイズがあってもノイズだらけでも、その中で相手の言わんとすることを汲み取れるのがコミュニケーション能力の高い人。か。 全く意味不明だったり、意味するところ不明瞭だったりする指示語の多い人と話をするのは、疲れるばかりで益がないと思っていたけど、これからは自分のコミュニケーション能力の訓練だと思って耳と気持ちを開いてみよう・・・・。 しかし、この本で意外なことがわかりました。 「オニババ化する女たち」の著者は、若い女性に希望を持って欲しくてこの本(オニババ化するおんなたち)を書いたのだそうです。 若い女性に、よくて「不安」悪くて「恐怖」を与える本だと思ってきましたが。
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体に聞く
2006/06/27(Tue)
人間関係で傷つくというのは、たいていの場合、生命力を奪ってしまうようなタイプの人の傍にいるからです。そういう人って実際にいるわけですよ。善悪とかかわりなく、ネガティブなオーラを出してる人って。本人は自分のことを思いやりのある善意の人だと思っているんだけど、その人のそばにいるとこちらの生命力がゆっくり損なわれていくような人って。身体感受性が鈍い人はそれがわからない。だから「その人のそばからそっと逃げ出す」というオプションを思いつかない。・中略・だから生きる意欲そのものを失わせるような不愉快で不快な人間関係のなかに平然ととどまって、結果的には精神が傷んでしまうんです。
と、いきなり長い引用をしてしまいましたが、ほんとにそうだと思いました。 みんなが警告を発してくれる身体を持ち、体が上げる悲鳴をちゃんと聞ける身体感受性を持っていたら、産業医は要らないはずです。 逃げるべきときはちゃんと逃げなければ。 生きてさえいれば、照る日もまた、あるのですから。 (おっと直前に読んだ「こんな上司が部下を追いつめる―産業医のファイルから」の影響が顕著な【読み】になってしまいました) それと、「若者に表情がない」という話も思い当たるところがありました。 相手にとって話し方を変えるということをせず、一本調子で無表情な若者は、コミュニケーション能力が未分化なのではなく、コミュニケーションを放棄しているのだという・・・。 図書館のおばさんと新しい関係性を築かなくても、ネットとメールでなんでも済むから、だからニコリともしないのかあの子らは。 キイ。 検索エンジンだけでは手に入らないものを提供できたとき初めて、若い子の目に私が映りこむのかも知れません・・・。
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クレマチスカタログ本
2006/06/25(Sun)
カタログ兼指南書といった趣のクレマチス本を3冊読んで、すっかり混乱してしまいました。 本によって花期が少し違っていたり花色が全然違って見えたりするので。 (花色で分けていたり花型で分けていたり花期で分類してたり、分け方がみな違うのも侮れない困難です) 咲きはじめと咲き終わり、一番花と二番花で色が違ったり、1年目と2年目で色が違ったりと、一個体の中でも色が違うというのだから、色については本と現物は必ずしも一致しないあきらめ、とりあえず日本クレマチス協会監修の本「クレマチス」を参考にすることに決めました。 この本には「栽培難易度」も出ているので初心者が苗を選ぶときの目安になります。 とはいえ、初心者はこの一冊だけ読んでいたほうが混乱しないからいい、とは言い切れません。 他のカタログ兼指南書にあった「黄色い花(タングチカ系)は暑さに弱いがヘリオスは例外」とか、「例外はあるが一般にクレマチスの赤花は退色しやすい」とか、読んでおいてよかったと思います。 また、一輪の写真のアップだけでは、その花の個性の半分以下しか伝わらない気がします。株全体の姿形がわかる写真もなければ、花のつく密度がわからないし、他の植物との相性もパターンを多く見ないことには想像できません。 いくつかの本を見て、それから、頼るべき本はこれ、と決めて考え出すと、結構考えがまとまるものです。 これでやっと夢と現実のすり合わせを始めることができるようになりました。 まずはピクシーの鉢植えを求め、それを1年枯らさずに置く、というところから始めてみましょう。
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書店ポップ術―グッドセラーはこうして生まれる
2006/06/24(Sat)
この本を読んで図書館ポップ術を磨き、本の回転率をアップさせる!という狙いをもって読みましたが、もくろみは大ハズレでした。 ページをめくりながら、 「お、この本おもしろそうだ。今度読もう」 「あ、こんないい本があった。今度買って図書館に入れなきゃ」 と、いつのまにか書店のお客さん状態に陥って、ポップの術は盗めずじまいなのです。
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ワールドカップ敗退の朝(あした)
2006/06/24(Sat)
日本がブラジルに負けたその朝、家の中はどんよりと沈んでいた。 試合が終わって一時間後、気を取り直そうとした夫が私たちに聞いた。 「じゃあ、次はどこの応援をしようか」 あまりにも気落ちしている夫が僅かに次の楽しみを見出そうとしているのだから、家族としてここは何か前向きなことを言うべきだ。 言うべきだが何を言う? 私が世界のサッカーに関して知っている単語は?? 「べ、ベッカムかな」 「桃子、それはチームじゃない」 「イ・イギリス?」 「イングランド!」 イングランドと言ったのは息子。 かあちゃんは仕事に行く。 とうちゃんはお前に任せた。川口のようにとうちゃんを守ってくれ・・・・。
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クレマチス脳園
2006/06/24(Sat)
果球に魅せられて、クレマチスに夢中です。 きれいな花が咲いて、その上こんな面白い実ができるなんて、なんてお得な植物なのでしょう。散り際がきれいなのもポイントです。 調べ始めてみると、植物性の星のような剣弁平咲以外にさまざまな形があり(スミレのようなのやチューリップのようなのや)、色だってとりどりで赤白黄色青紫、かつ早咲き遅咲き四季咲き冬咲きがあるというバラエティ。 これが全部クレマチスだなんて、目が回りそうな豪華さです。 理想の庭を頭の中で組み立ててみようと思ったのですが、3日で挫折しました。 バラエティが豊か過ぎて、何か条件がないと考えがまとまりません。 花の写真を1枚見るたび「これもいい」「これもいい」と欲しいものが増えていき、自分が何を選んだかわからなくなってしまうんです。 そこでとりあえず頭の中に実家の庭を思い浮かべて、計画を練り始めました。 杏の木にアーマンディー、梅の木にはモンタナ・ルーベンスを登らせて、春先はOK。 晩春には真っ赤なバラのアンクル・ウォルターに青か淡紫の何かを・・・何をからませればいいんだっけ。5月から咲く新旧枝咲き(旧枝咲きは早咲きだけど剪定が難しそう)ってあったんだっけか? 1年中何か咲かせることができるはずのクレマチスなのに、5月の段階で早や計画頓挫。 病気の心配も水遣りの手間も何も苦労がないはずの机上論で破綻してしまう、自分の頭が悲しいです。 既に花が咲いている状態の、行灯仕立ての鉢をひとつだけ買ってくるというのが、身の丈にあっているのかもしれません・・・・。
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自転車問題
2006/06/22(Thu)
我が家の自転車は、量産されている廉価品なので、時々公民館やスーパーの駐輪場で同色同型の自転車に出会います。 先日スーパーから帰り、荷物を荷籠に入れているとき、なんとなく違和感を覚えました。それで見直してみると、うちのと同型のよその自転車でした。 「こりゃまた失礼」 とそこにいない自転車の主に心の中で謝りつつ、私は気づきました。 なぜ自分は、違和感を持ったのか。 それはこの自転車がきれいだったから! どこも埃をかぶっていなかったから! 家に帰って 「『きれいだから』うちのじゃないとわかるなんて、情けなくない?」 と連れ合いに話しました。 「そうだな。たまには拭いてやんなきゃ」 「そうだねー」 と『話』は円満に終わりました。 しかし実際には、自転車は埃をまぶした色のまま。 妻は家の車両管理担当を夫だと思っており、夫は自転車を車両の数に入れていないという、そこに問題があるのではないかと思います・・・・。
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石に見えても
2006/06/21(Wed)
図書館では、利用者はお客様。 利用者がいなかったら存在価値がなくなってしまうので、来た人はみな大事なお客様。 世の中には図書館に来ない人が一杯います。 その中で図書館に足を運んでくれる人の、なんと貴重なことでしょう。 だから、できる限りお客さんに 「来てよかった」 と感じて帰って欲しいです。 何を言っても石のように動じず、表情を動かさないお客さんに出会うと、空しさや(無視された)痛みを感じることもあります。 が、「図書館に来る」ということは何かしら求める気持ちがあるのだし、館員に何か質問するということは、図書館にまったく足を向けない人や、来ても何も見つけられずにそのまま帰ってしまう人より貪欲だと言えます。 仏頂面のお客さんが、ふっとこちらを見たときに、こちらが石になっていたら、少ないチャンスがふいになります。 無愛想というか無反応というか無表情というか、そんな人が来たら、気合を入れて笑顔。どこかの居酒屋じゃないが「喜んで」お手伝いしましょう。 今日は能面のまま帰っても、いつか今日あったことを思い出すかもしれないし、そのときは今より眉根が開いているかもしれない。 いろいろいろいろ考えて、相手の降ろしたシャッターに負けないようにします。 あなたが私を人と思わなくても、私は自分から人であることを止めはしないんだからね。 「あれはどうですか?」 「これもどうですか?」 あなたの心に届く本を見つけたい・・・・。
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母の日 嫁から贈り物届かず
2006/06/19(Mon)
読売新聞の6月18日の人生相談。(相談の全文はこちら) 相談者にとって余計なお世話でしょうが、私の回答を書きます。 母の日の贈り物は、いわば心のケアです。新聞回答者の見解は【相談者はまだ息子夫婦からケアが必要だと見なされていない】というもので、たしかにそうだと肯えます。しかし、何か違うと思いました。 相談者 嫁が母の日にハンカチ1枚くれなかった。実の親には贈り物をしたと聞いたが、自分は母親として思い出してもらえなかったかと悲しい。マンションも買ってやったのに・・・。 私の答 息子は母に贈り物をする気があり、妻に買物等を手伝って欲しいと頼んだ。それなのに妻(相談者からは嫁)が知らん振りした、というならば問題があるかもしれません。 ですが、息子がプレゼントをしたいと思わない親に、その妻が何もしなくても何の不思議もありません。 母の日の贈り物という心のケア。体は元気だといっても、お母さんが望んではいけないほどの「贅沢」ではないと思います。 だけど、望んでもいいのだけれど、嫁に望まないでほしいです。嫁に、息子以上の望みは抱かないで・・・。 私はかねがね「息子にできないことを息子の嫁に期待する」例が多すぎるから、嫁業(よめぎょう)が大変なのだと思っていました。 男女を問わず、自分が自分の親にしたいことを、連れ合いの親にもしたいと思う人はいます。それはそれで結構なことです。 が、自分自身を生み育ててくれた親が一番親しくありがたく、次に自分の大事な人を生み育ててくれた親がありがたいというのは、人として自然なこと。 なさぬ仲の親から義理の娘や息子に、実の親と同じように思えと要求していいことではないと思います。 嫁も婿も、実の息子(夫)や娘(妻)が親のケアをするときフォローできればいいし、先にフォローする立場になったものは、いずれ自分の親が倒れたときに連れ合いにして欲しいと思うことをすればいいと思います。
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野球場観戦
2006/06/18(Sun)
私は野球場で野球を見ない。というか、見られません。 すぐに打球を見失ってしまうので、今何が起こっているかわからないし、解説者もいないし。 だけどときどき球場に行きます。そして人と季節とビールを味わいます。 きのうはデーゲームで暑かったので、試合前に生ビールを一杯飲んじゃって、自分のアルコール飽和量を少し超えました。それで1回の裏表の間、球場内の涼しいベンチでうつらうつらしてました。1回の裏はヤクルトが4点取る猛攻でしたが、野球を見に来たわけではないからそれくらい見なくても平気。ひんやりしたコンクリートの壁に凭れて、いい気持ちでした。 さて、野球場観戦で大事なことはポジショニング。 外野自由席の応援席と観戦席の境が狙い目です。 もちろん、応援席と観戦席なんて区別があるわけじゃないけれど、事実上目的上の別(住み分け)があります。 ホイッスルやトランペットが目の前や頭の後ろから降り注ぐ場所ではなく、かつメガホンで言ってることが聞こえる場所が応援(主に息子)も観戦(主に夫)も観察(私)もできて便利。 昨日はメガホンを持った人のエンターテイメントが当たり。 グラウンドに出てきた監督に 「フルタサーン。おはようございまーす」 と声をかけると監督が振り返ってこちらに手を振っていました。 試合中も基本的には丁寧語で応援。 「丸丸さーん。働いてくださーい」 てな具合。 「明日は子どもの日曜参観でーす。今日勝ってくださーい」 には笑いました。 ときどき 「さきちゃーん。おはようございまーす」 「さきちゃーん。コンニチハー」 というのが入るのはなんの応援だろう?と思ったら、ひいきのビール売りのお姉さんの応援でした。 昨日見た一番いいものは10歳くらいの男の子。 金網にへばりついて、終始 「おれのミヤデー。おれのミヤデー」 と応援していました。 宮出選手が打っても守っても、凡退してもヒットを打っても、宮出選手の無念も宮出選手の喜びも、みんなわが身に引き受けて、自分を励ますように 「おれのミヤデー」 を繰り返す子ども。 野球選手は夢を売る商売だ、と久しぶりに思いました。 宮出選手はこの子のために、よき社会人のロールモデルでいて欲しいと思います。
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打撃練習
2006/06/18(Sun)
<打撃練習> 飛球かと思へばツバメ神宮球場 <夫(つま)の言> 神宮でビールを飲むとおいしいな <打撃練習>はあったことそのままで、激しく字あまり。 <夫の言>は聞いたことそのままで、上の句の言い換えが無限にきく。 二句とも詩歌のカテゴリーに入れるのにはかなり「難あり」。 だけど、難があるものを排(斥)していたら、排(列)するものが無くなってしまう現状です。エイヤっと入れておきます。
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石に教える言葉
2006/06/17(Sat)
私が図書館で出会った困った学生さん。 質問の始めは 「芥川の本ありますか?」 でした。 日本の小説を置いている図書館で芥川の作品がないところなんてそうそうないよ。でも、芥川が書いた本とか芥川の著作とか言いそうなものを、ただ芥川の本というのがあやしいぞ。 「はい。ありますが、芥川龍之介が書いたものと、芥川龍之介のことを書いたものと、どちらをお探しですか?」 「?」 しまった、通じなかった。では具体的に聞き直しましょう。 「たとえば、芥川龍之介が書いた小説と芥川の文学や生涯についての研究書がありますが?」 「・・・・・・芥川がなんで死んだか知りたいんです」 そうでしたか。なんでが死因をさすのか自殺の理由をさすのかわからないけど、この場の答は変わらないからどっちでもいいや。 「では研究書ですね。2階18番の棚を見てください」 「それ、どの本どこに書いてありますか」 カーッ そこまで聞くかいっ でもにっこり。 「2階の18番は日本近代文学の研究書が集まっていて、芥川の研究書は一番初めのほうにあります。 見ていただいて、それでわかりづらいようでしたら係が一緒に行きますので、もう一度カウンターにお声掛けください」 さあ仕上げのにっこりだ。がんばれ、自分。 この会話の間、学生さんの表情はほとんど動かず、なんだか石にものを教えているみたいな気がしてきました。 多分学生さんには調べたい動機が全然ないのでしょう。宿題が出たから一番の省エネモードで片付けようという気持ちがあるだけで。 どこかの大学の教授みたいに『そんなこと自分で調べろ』どなりたくなるときもあるけれど、それを言っちゃあお終いの我が稼業なのでした。
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石に言葉を教える
2006/06/17(Sat)
石に言葉を教える
医師の卵の惨状を伝える場面で
一流と言われる東京のF大学医学部のB教授の話。「大学院に入ってきた成績のいい学生が『どんな研究テーマを選んだらいいでしょうか』と相談に来たんです。『それは自分で探しなさい』というと『どのようにして探せばいいのでしょうか』と聞く。『バカ』と言いたかったけれど、まあ我慢して、『図書館に行って、興味を持てそうな分野の専門書をいろいろと」読んでみなさい』と教えてやったら、それでも立ったまま行こうとしない。『どうした?』と聞くと、『図書館のどのあたりの棚を調べればいいでしょうか』と言うんですよ。もうあきれ果てて、『そんなこと自分で調べろ』と怒鳴ってやりました」
というエピソードがありました。 大学教授がキレてしまうのはしかたがないでしょう。 しかしできれば最後は 「そんなこと図書館で訊け」 と言っていただきたいところです。 利用者と資料の縁を結ぶのが図書館職員の役目ですから。
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コマチソウ
2006/06/16(Fri)
ハエトリナデシコは小町草でした! 江戸時代に日本に入ってきた外来種。 江戸の町では舶来の花だったのです。 小さい花が集まって、紅珊瑚で作った簪のように咲いているのが、おきゃんな町娘を思わせたのか。はたまた細い茎と薄い花びらが晩年の幸薄かった小野小町の果敢無さを思わせたのか。 どちらかわからないけど、「小町」は「美人」と同義でしょう。このきれいな花色は江戸時代の人びとにもろ手を上げて迎え入れられたのだと思います。 江戸時代にやってきて、もうとっくに帰化していた小町草。 明治期にメキシコからやってきて、早どこから来たのか忘れられている秋桜。 大正時代にアメリカから来たアメリカ花水木。今ではわざわざアメリカを冠して呼ぶことが絶えました。 外国から来た花々は、日本人に愛されれば愛されるほど、出自を忘れられていくものなのでしょうか。
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花の名前
2006/06/15(Thu)
花の名前はみな優美。 品種を超えた同じ発想の名前の花を見比べると面白いです。 以下、ダンシング・フラワーズ。 クレマチスの「舞姫」、紫陽花の「乙女の舞」、葉牡丹の「瀬戸の舞姫」、チューリップの「バレリーナ」。 皇族はあちこちで花になっています。 以下、チーム・マサコ。 シンビジウムの「プリンセスマサコ」、ベゴニアの「プリンセスマサコ」、セントポーリアの「プリンセスマサコ」、桜の「プリンセスマサコ」、バラの「プリンセスマサコ」。 クレマチスの名前を見ていて、さすがイングリッシュガーデンに不可欠といわれる花だと思いました。 「プリンスチャールズ」も「プリンセスダイアナ」も「カミラ」もあるんですから。 しかしカミラだけ、敬称なし。マダム・カミラでもミセス・カミラでもなく、ただの「カミラ」。 はてさて、イギリス人の意図したことか、偶然か。
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果球
2006/06/14(Wed)
近所でまたまた見つけた路傍の風景。去年もあったのに今年やっとみつけたもの第二弾は「クレマチスの実」です。 (写真はこちらのブログにすごくきれいに撮れたのが載っています) なんておもしろい形なんでしょ。破れかぶれなくせに丸く収まっているという、造化の妙。見れば見るほどおもしろくて、明日は触ってみようと思います。 先日の脳内花園にはぜひつるバラとクレマチスで花垣をめぐらせましょう。 クレマチスはまず「アーマンディアップルブロッサム」。それから 「ブルーエンジェル」と「ラプソディー」。アクセントに「プリンセス・ダイアナ」。渋く「仙人草(センニンソウ)」も入れておこうか。 そして最後は「シルホサ」。 どれに一番かわいい実がつくかわからないけれど、これだけ植えれば実(花球ではなく果球というそうです)もいろいろ見られて楽しいと思います。
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雨ニモマケズ
2006/06/12(Mon)
昨日は義父の七回忌でした。ごく内輪の法事でした。 息子は「本堂から叩き出されるほどではない」程度の行儀のよさでした。その後、雨の中を傘もささずにお墓まで塔婆を肩に担いで持って行きました。(走って行ってしまったので止められなかった) 「親は何を教えているんだ」 という目線を感じますが、何も教えていません。 だって、私は、初めての儀式や、めったにない儀式に当たってはできる限り他の人と同じように、目立たないようにしてました。 同じ役割を果たすほかの人を見て同じように行動していました。 そうすることは誰にも教えられずにしていました。 それが、、、授かったのは 「わき目も振らずにとりあえず走り出す子ども」 だったのです。 私の両親を実家に送っていって戻ってみれば、息子は雨の中泥まみれで野球(in大谷神社の庭)をしていました。 「なんで家の中にいないの!」 「つまんないから!!」 (夜勤明けで献杯を飲んだ夫はぐっすり昼寝中) ああ、うう。 義父よ。子孫に加護を・・・。
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ゲーム脳への反論
2006/06/10(Sat)
狂気の偽装 ドキドキしました。 この本の中で槍玉に上がっている(失礼しました。「俎上に載っている」といった方が穏当でした)「ゲーム脳の恐怖」「片づけられない女たち」「脳内革命―脳から出るホルモンが生き方を変える」などをみな本館が所蔵していたからです。 「ゲーム脳の恐怖」など、トンデモ本だと決め付けられていて、ヒヤヒヤ・・・。 絶対主張の正しい本だけを所蔵するなんて無理なこと。野口英世の黄熱病研究のように、後世の学者に否定されるものもあるでしょうし、桑原武夫の「第二芸術」のように物議を醸すものもあるでしょう。 むしろそれらは(館種の違いにもよるけれど)図書館としてぜひ必要な資料になるでしょう。 しかし、それが根拠なく人心を惑わす「トンデモ本」だったら・・・・。 世を乱す流言なら、図書館がその流布に力を貸してはならないと思います。 しかし、しかし、しかしながらさりながら、「検証不十分な理論・主流でない主張・新奇な認識」を表わした本と「流言・トンデモ」本の境を決めるのは難しい。 かくて、「買ってはいけない」と「「買ってはいけない」は買ってはいけない」が並ぶ本館。 販売部数の多いほうが絶対正しいわけでも、後から書かれたほうが必ず正しいわけでもない。 私はもう少し脳波に関する本を読んで、「ゲーム脳の恐怖」がトンデモ本かどうか考えようと思います。
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見たまんま
2006/06/10(Sat)
栗の花たとへば昼の大花火
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軒の栗
2006/06/10(Sat)
引越し一周年を過ぎて、やっと見えて来る路傍の花。 はーて、去年は何を見ていたのだろう?と不思議な心持ちがします。 今日見て来たのは栗の花。 最近暗くなってから家路をたどるときに、今年も栗の花の盛りになってきたなという風の匂いがあったのですが、土曜勤務の帰りのまだ明るい道で見回せば、あるある、あっちにもこっちにも夥しい栗の花。 田舎だからね。家々の間に小さな栗畑があちこちに見えるんです。 畑は大きくないけど、結構木がおおきくなっていて、家の屋根の上から栗の枝の花が見えているところもあります。 決していい匂いじゃないしはたまに道路に落ちていると毛虫みたいでぎょっとするし、好きとは言えない花でしたが、これだけいっぱい咲いているのにだれも愛でてはくれないと、ちょっとかわいそうだと思います。 世の人の見付ぬ花や軒の栗  (芭蕉) 風上から遠景で見ればなかなかいいです。
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脳内花園
2006/06/10(Sat)
自分の庭があったなら、薔薇は極力剣弁高芯咲き。イングリッシュローズはおよびじゃないわ。 フロリバンダローズなら「緑光」。 ハークネスのフロリバンダからは「マーガレットメリル」。 つるばらなら繰り返し咲きの「アンクルウォルター」。 オールドローズから「ルイ14世」。 でもオールドローズを入れるより、フロリバンダの「桜貝」がいいかしら。飾景バラとしてつるバラをもう一本増やした方がいいかしら。 私がカタログをよれよれにするまでめくり返していると夫が来て言いました。 「そんなに買ったら消毒はどうするんだ? 肥料は?」 だんなさん。そんなものより不足しているのは庭ですわ。
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部下業
2006/06/09(Fri)
職場には、自分が言った事ではなく「言いたかったこと」をわかって欲しい男と、自分に「わかるように言って」欲しい女がいて、ときどき混乱を生じます。 上司の意思を察して動くのが部下業なので、悪いのは常に部下です。 レファレンスインタビューなら、相手が語らないところに何があるか察する能力が進化(始めのレベルが低いからこその進化ですが)していくのに、どうして上司の語らないところを察する能力は伸びないのか。 明日から上司もお客(利用者)だと思ってやってみようと思います。
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繙かなくても紐解ける
2006/06/09(Fri)
前述した「紐解く」について。 よき先達からの指摘どおりで、日本国語大事典は「紐解く」と「繙く」同一項目にしていました。どちらも、「ひもとく」と読み、書物を読むという意味であると。 広辞苑は「紐解く」と「繙く」を別項目にしているけれど、ニッコクも比較的新しい明鏡も同項目です。 つまり「紐解く」も世に認められているんですね。 今まで怠慢だと思っていた校正部の方、ごめんなさい。私の記事を読んで既に人に語ってしまった方がいたらその方も、ごめんなさい。記事のどこかに「広辞苑によれば」という条件を入れるべきでした。 阿川弘之氏が「葭の髄から」に(既に何冊も著作のある)息子や娘の書いたものに、不適切な表現があると厳しく指導する話が載っていて、他所事としてはとても微笑ましいのでした。(うちにこんな雷親父がいたら大変だ) 阿川弘之さん。元気を疑ってごめんなさい。
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紐解く
2006/06/06(Tue)
最近、書物を紐解く人が多い。 けれどそれは違うでしょ。正しくは「繙く」でしょ。 「繙く」を「紐解く」というのは、「承る」を「受け給わる」というのに似て、まんざら意味が通じないでもないところが困ったところ。 また、「繙く」はワープロの漢字変換で出てきません。「紐解く」はすぐに出てくるので、知らない人はそれでいいと思ってしまいます。 紐解くは下紐を解くこと、または蕾がほころびるということ。ちょっと艶めいた言葉だと思います。 対して「繙く」は書物の帙(ちつ)の紐を解くこと。 ちっとも色っぽくありません。 書物を開いて読むの意味で「紐解く」を使っている本を読むと 「校正係は何してる!怠慢だぞ」 と思うのが常なのですが、阿川尚之マサチューセッツ通り2520番地の場合だけは 「阿川弘之何してる!元気を出せ」 と思ってしまいます。 尚之さんの場合だけではありませんでした。阿川佐和子さんの本を読むときも、 「言い回しを間違えると(校正係よりずっと恐い)お父さんに怒られるよ。しっかり!」 と応援する気持ちで読んでしまいます。
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桃色の瞳のナタリー
2006/06/05(Mon)
玄関先のプランターに、スカビオサ・ナタリーが咲いています。 ナタリーは義理堅く、5月31日に咲き出しました。 花期5月~10月と種苗カタログにあったのですが、5月の日照時間が少なかったので、あやうく約束を破りそうになったのでした。 が、すんでのところで健気に咲いて見せたのです。種苗会社孝行な娘です。 ナタリーの蕾が頬を染めるように桃色に色づくと、翌日には花となります。 花咲くナタリーはとても清純で、乙女のようです。 花がたくさん咲き出した今は乙女の姉妹のよう。それも6人姉妹くらいかな。 「ナタリー、行ってきます」 「ナタリー、ただいま」 という気持ちで朝に夕に見ています。 これはたぶん夫が玄関の金魚に抱いているのと同じ気持ち。 金魚のアン・シャーリーとスカーレット・オハラ。 プランターのナタリー・スカビオサ。 もの言わぬ友たちよ・・・。
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ビギナーズ・ラック
2006/06/05(Mon)
先日のバドミントン大会の二回戦。 息子の相手は5年生で、友達(この友達は決勝で息子と当たりました)に 「そいつに負けたら罰金だぞ」 という声援?を受けていました。 つまりそれだけ見くびられていたわけです。 そんな中で4年生の息子がよく勝てたと思います。 きっと、緊張のあまりコートの外で言っていることが耳に入らず、ひたすらハネを追っかけていたのが幸いしたのでしょう。 「回りのことが目にも耳にも入らず、点差も考えられない」という幸運・・・・。 人生何が幸いするかわからんから、希望を捨ててはいけないのだと思ったわが子の優勝でした。
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コレオプシス
2006/06/04(Sun)
ハエトリナデシコと同じ時期、同じように目立つのがコレオプシス。 鮮やかな黄色を惜しげなく振り撒いています。 葉っぱの細い一重咲きは糸葉ハルシャ菊、葉っぱに幅があって八重咲きもあるのが大金鶏菊と、細分はあるけれど、他所の庭を道から眺める分には区別がつかず、どちらも大きく言ってコレオプシスです。花立ちのいい元気な様子と、ヒマワリのような黄色に違いはありません。 今日、知らない男性が足元に咲くコレオプシスを見て 「お、こんな小さなヒマワリが」 と驚いていました。 花の形だけ見たら 「お、黄色いコスモスだ」 といいそうなものですが、ヒマワリは知っていてもコスモスは知らない人だったみたいです。 余談ですが日本の男性が誰でも知っている花NO.1はチューリップだそうです。桜は梅・桃・杏と写真を並べられると識別があやしくなるのだとか。
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